山形の「今の景色と様子」
現在の山形市の様子を私の眼前の光景を中心に写真で紹介を
していきます。
なお、これは自分用の写真付き絵日記です。
意識して全体が平成20年からの光景を一筆書きの形式に
してまとめてあります。
昨年までの天候との状況比較用に使っています。
平成23年12月30日
今日も朝から雪だ。これで雪のない元日にならないことが確実になった。
テレビを見ていたら緑の芝生でゴルフをしていた。
どこの国の光景化と思ったら日本だった。日本も広い!。
30日午後5時の積雪量の発表があった。28日の晴天で少し溶けたのかな。
山形市33センチ、酒田市17センチ、新庄市102センチ、肘折195センチ、
尾花沢109センチ、米沢市61センチ、大井沢156センチ、小国141センチ。
徐々に豪雪地帯が実力を伸ばし始めた。
平成23年12月28日
今日の朝はようやくうっすらと積もった状態になった。日射しも出て何とか気分も良い。
さて、現在の山形県内各地の積雪量をお知らせする。
山形市39センチ、酒田市19センチ、新庄市80センチ、尾花沢市100センチ、
米沢市89センチ、小国町107センチ、肘折温泉173センチ、大井沢152センチ
以上です。12月にしては大雪です。
さて、久しぶりに晴れたので雪下ろしをすることにしました。
皆に止めろと言われればなおさらしたくなる性分、さっそく屋根に上がり、一階・二階の
屋根に登った。北側は優に膝が隠れるくらいの積雪だ。昔とった杵柄だ(いや、今もと
っているが)、段取りだけはスムーズだった。
必ずはしごは屋根の中央に、そして梯子は木製の方が屋根への吸い付きが良い。
そして上る時は空を絶対に見上げないこと。
周囲の光景。どこも雪々である。
雪を投げる場所を確認して腰に力を入れないで放り投げる。ここの姿勢が悪いと
後で接骨院行となる。実はこの日の2日後に腰痛になりました。
でもこれで終わりではない。下に落とした雪を片付ける仕事が待っている。
こちらの作業の方が落とすより3倍つらい。
今日もこの作業で終わってしまうなあ。
平成23年12月27日
雑感 今日も朝起きたら昨日と同じかそれ以上の降雪となった。12月にしては
大雪だ。気象庁の長期予報では平年並みとのことだったがこれは大外れ。とんでもない
大雪となっている。
平年並みとは11月20日前後に15センチが、それ以降は12月中に一回降雪、あと年
末までは降らず1月1日は雪が少し残るが10日までは大雪にならずに進み10日過ぎか
ら大雪の毎日のパターンを言う。
これが昨年あたりから変化して大雪の傾向となっている。
以前は私は12月の年末は近くの山に登っていたのだもの。この期間は葉が統べて落ち
山から下界への見通しが良くなり空気も澄み景色を楽しめるのです。
それが今年も全くできなかった。
私たちは温暖化では雪が降ると理解している。温暖化で海水の蒸発が進み、濃い水蒸気
が湿ったまま山に突っ込んでくるのだから当然大雪となる。
フロリダのハリケーンはまさにそのパターンである。
平成23年12月26日
今日の朝は12月としては大雪となった。車の屋根の上で21センチだった。
家の裏の小屋の脇は吹き溜まりもあり30センチとなっていた。
早朝から雪を掻くのだが年のせいなのだろう年々速度が遅くなっているのがわかる。
しかも自分の家だけではない。支援高齢老人の家や通学路も掃くとなると私個人の
力では限界だ。市に訴えてもただ頑張って下さいの声のみ。
結局この日一日で32センチの降雪となった。
ガラスに雪が硬く張り付き簡単には取れない。でもお湯なんかをかけてはなお駄目。
平成23年12月25日
クリスマスイブから雪は小刻みに降っていたが一夜明けてみたら真っ白の世界で
あった。
干し柿も食べごろとなった。
このような光景がこれからは毎日となる。
平成23年12月17日
ついに積雪となった。積雪は約10センチ。
やれやれこれからはこのような光景となっていくと思うと気が
重くなる。でも楽しいこともあるだろう。頑張っていく。
自作の干し柿はもう少しの辛抱た。うまいぞ!
平成23年12月9日
おとといの好天気は嘘のように消えて今日は朝から寒い曇り空の日となってしまった。
朝からしとしとと氷雨だったのが昼頃には終に雪降りとなった。
山形市の初雪はとうに過ぎていたが私は雪を確認できなかった。
今日初めて雪降りを確認した。
いよいよ冬将軍の正規軍がやってくることとなった。ただひたすら耐え忍ぶ期間となる。
平成23年12月7日
寒く氷雨の日が続いたが今日は少し温和な日和となった。体もなまったし自転車ツーリン
グをしてみようと思い立った。結局述べ15キロほど走ってみた。
山形市北部の楯山地区の田園を走ったが山も田ものどかな雰囲気であった。
まもなく厳しい冬景色となる。こんな光景もまもなく見れなくなる。
平成23年11月23日
一時寒い冬型の気候になったが今日は何とか穏やかになりそうな天気である。
今年は私も干し柿を作ってみた。これからは柿を突きに来る鳥との戦いが続く。
モミジの紅葉も最後の段階だ。まもなく散るだろう。
スタッドレスタイヤへの交換も今日自分で終えた。
平成23年11月19日
山形も秋色一段と濃くなりつつある候となった。
久しぶりにあさひ町の最上川ビューポイントへ出かけてみた。
左側のカヌー練習場にもさすがに人影は無くなっていた。
ここ朝日町は「ふじりんご」の最盛期で新潟からもお客さんが来ていた。
平成23年10月27日
以前から心配されていた山形県の人口減少傾向が継続していることが分かった。
ただ一世帯当たりの人員と3世代同居率は全国で一番多かった。これはまだ家
族制度が残っていることを示しているのだろう。
次の山形新聞にはその事実が大きく報じられた。
この傾向をグラフに示すと次のようになった。大変心配である。
山形県の人口推移 | 単位 人 | |||||||||||||
昭和25年 | 昭和60年 | 2001年 | 2002年 | 2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年 | 2009年 | 2010年 | 2011年 | 2012年 | |
人口 | 1,357,347 | 1,261,662 | 1,240,877 | 1,235,870 | 1,229,854 | 1,223,739 | 1,216,181 | 1,207,513 | 1,198,710 | 1,189,152 | 1,179,964 | 1,168,924 | ||
前年との差 | 5,007 | 6,016 | 6,115 | 7,558 | 8,668 | 8,803 | 9,558 | 9,188 | 11,040 |
平成23年10月4日
いよいよ雪の知らせが入るようになりました。
つい最近まで暑くて地球温暖化の話題で一杯だったのがピタッと無くなりましたね。
とにかく急速に寒くなっています。
平成23年8月23日
いやあ一ケ月以上更新をサボッてしまいました。何しろ暑くて暑くてやる気が起きません
でした。特にこのホームページ掲載用のサーバー機は家族全員に邪魔にされ空調の無い
部屋の片隅に追いやられていたのがたたり終に御臨終となりました。すぐに新機に置き
換える作業に入りました(連日30℃を越える中でですよ)。ついでにOSのLinuxのバージョン
アップを実施したところやはりトラブル。ネットワークがうまく動かない。OSを更新すると何が
起きるか分からないのは当然覚悟してはいたが実際に発生すると暑さと困惑とでこちらの
体調までおかしくなってしまった。でも何とか復旧までこぎつけたがまだ変な所が残っている。
まあ徐々に対応していこう。
さて、現在の山形市は気温日本一のタイトル返上により精神的に暑いという固定観念から
脱出できた。でもやはり暑い。湿度が高いから。
さて今夏の気温の一覧表を作ってみた。次に掲載しておきます。
8月も確実に気温の低下が続いています。まもなく雪の心配に入るなあ。一年は早い。
山形市の気温推移 | ||
月・日 | 気温(℃) | 備考 |
7月26日 | 30.5 | |
7月27日 | 31.3 | |
7月28日 | ||
7月29日 | ||
7月30日 | 28.3 | |
7月31日 | ||
8月1日 | ||
8月2日 | 27.6 | |
8月3日 | 29.3 | |
8月4日 | 欠測 | 新聞の値 |
8月5日 | 34 | |
8月6日 | 34 | |
8月7日 | 33.7 | |
8月8日 | 34.4 | |
8月9日 | 34 | |
8月10日 | 36.1 | |
8月11日 | 32.8 | |
8月12日 | 32.3 | |
8月13日 | 34.8 | |
8月14日 | 36.1 | |
8月15日 | 34.4 | |
8月16日 | 33.1 | |
8月17日 | 34.6 | |
8月18日 | 31.3 | |
8月19日 | 27.7 | |
8月20日 | 27.9 | |
8月21日 | 21.1 | |
8月22日 | 24.9 |
平成23年7月14日
毎日暑い日が続いている。連日30℃を越えている。
このような日には深山にこもるのが一番だ。
今日は月山・湯殿山への行者道六十里越街道の一部探査ということにした。
今回はその時の一シーンの紹介に留めて本篇は私のポームページで紹介しようと
思っている。
平成23年6月19日
久しぶりに晴れた。久しぶりに月山志津と大井沢へ行って見た。
新緑が綺麗でまだ地域には雪が残っているところがある。
寒河江ダム湖のほとりに湖にせり出して作られている蕎麦やがある。
「大越そば」という。久しぶりに行って見た。高速も6月20日からは有料になり今日まで
無料だから尚更行かねばと思ったわけである。
次の写真はその蕎麦やへ行く道である。右側はダム湖である。くれぐれも落ちない
ようにしなければならない。
周囲はブナの林である。ダム湖を眺めながら板蕎麦を食べる。これこそ人生の喜びで
ある。蕎麦はこのような自然の中で食べる蕎麦が本物の蕎麦である。
都会の人ほど蕎麦講釈で食べているが可哀そう。
大越蕎麦へのマップを見る
平成23年6月7日
ついに6月7日に山形市で今年最初の真夏日となった。
気温は31.0℃であった。でも湿度が少ないため大変さわやかですごしやすかった。
ちなみに他の市町村の気温も紹介する。酒田市31.6℃、新庄市31.3℃、米沢市
29.0℃、尾花沢市29.7℃などである。
平成23年5月24日
皆さんが東京方面への行き帰りに列車の旅で必ず通った板谷峠ですがこれま
であまり顧みられなかった。
そしてその遺構も次第に取り壊され始め心ある方たちの心配になっていた。
特に大沢、峠、板谷の各駅にある雪の覆いスノーシェッドの姿は本当に圧巻です。
しかしこれも峠駅のスノーシェッドの一部は取り壊されてしまった。
このような破壊が進むのかなと心配していたところこの度ようやく山形県の近代化
産業遺構として認定されることになった。
その関係記事を紹介します。
なお更に詳しく知りたい方は http://www3.ic-net.or.jp/~motokazu の中の
新秘境シリーズ 施設編 「大沢駅の巨大スノーシェッド」の項に詳しい写真を添えて
レポートしてありますので御覧下さい。
平成23年5月15日
今日は日曜である。東日本大震災から2ケ月が過ぎた。平日は被災地は多
くの方たちが復旧の作業をしているので訪問出来ないが日曜日は多くの方が
作業を休むと聞いていたので今日の日曜日に被災地を訪問してみることにし
た。
早い時期に現地を訪れこの悲惨さを理解して後代の人に伝えることが大切と
考えたためである。だって復旧が進むとこの悲惨な現状は忘れ去られてしまい
単なるテレビの中の出来事と片づけられてしまう恐れがある。
そのような観点から今回の被災地訪問をしてみた。
山元町、亘理町、岩沼町の被災地訪問記
平成23年5月6日
久しぶりに明るい日射しの日となった。午後になると何となく外に出たくなり
自転車で馬見ヶ崎川の上流を目指した。
しかし外に出てみると結構風が強かった。まあ出来る所までとスタートした。
薬師町をまっすぐ東に進めば馬見ヶ崎橋になるがこの橋が現在新しい橋に
変身しようとしている。
自転車でその下側を通って上を見てみるとその詳細が分かる。
この写真の向こうの山側が東側である。まっすぐ行くと山寺へと続く。
手前が現在の橋すなわち旧橋になるはずである。向こう側は仮の橋で、仮の橋
を新しい橋として開通させ、そののちにこちら側の現在の橋を壊して新しい橋
にして開通させてその後に又向こう側の仮の橋を撤去するという段階を踏む。
従ってまだまだである。なんとか私の元気な内に開通させてもらいたいのだが
工事は都会と異なり一寸刻みで進行している。
平成23年5月5日
毎日の山形新聞には放射線量の記事が出ます。
こんなことは考えたこともなかったのですがこれが現実となりました。
このデータによれば米沢は山形よりも約42キロ原発の地に近いので
その分数値が高いのが分かります。
何とかこれからの南風の気候となるのでこれ以上数値が上昇しないことを
願うばかりです。でも台風が来たらこれではすみません。だって台風は必ず
南から北へと移動しますから。北から南に移動する台風は聞いたこともあり
ませんから。
平成23年4月26日
大震災は山形の経済にも大きな影響を与えています。
震災地に隣接しているだけの県には何の復興策も降ってはこない。
けれど震災のマイナス面だけは確実に受けているのだ。
今日の山形新聞は山形県の立場を良く分析していた。
このような記事が地方にとっては大切なのだ。中央紙に対抗するにはこのよう
な地方独自の記事の充実が決め手になる。
それにしても厳しいなあ。若者の雇用に影響しないで欲しいと願う。
山形新聞の記事
霞城公園の桜紹介
平成23年4月24日
昨日霞城公園の桜は満開ではないと伝えたのが今日になったらパチンとは
じけるように花が開いた。やはり待ちに待っていたのがこらえきれなかったと
いう感じである。
次の写真は私の町内にある円応寺の桜である。
今年も厳しい冬を乗り越えてよくぞこの桜を見ることが出来たとの心境である。
この寺の隣にある公園の桜も満開となった。先程孫がこの花の下で遊んで
帰ったばかり。
平成23年4月23日
今日ようやく仙山線が再開通した。これまでは山寺と山形、愛子と仙台間で
折り返しの運転をしていた。
学生も勤め人も大変不便な思いをしていたので大変助かることになった。
不通の区間は仙台側の奥新川と八ツ森駅間でこの近辺の線路の路床が崩
たとのことだった。
この地域はほとんど人が入らない地域で秘境に近い所である。
そのために重機を入れられなくてまず機械をいれることに時間をくったとのこ
とだがそれにしても長い期間の不通であった。
これでようやく震災の影響が少し減ったといえる。
でも毎晩余震でたたき起こされる。昨夜の余震も深夜の0時頃であった。
今晩は平穏であることを切に願う気持ちである。
ちなみに霞城公園の桜は7分咲きである。今日は一日雨だったので寒く満開
はもう少し先になった。
平成23年4月17日
今日も晴れた。桜の花もまだほんの蕾であるがこれまでの高い気温で
開花の遅れを取り戻してくれるのではないかと思う。
今日はさわやかな天気になったのでサイクリングへと出かけた。
馬見ヶ崎川をさかのぼり笹谷峠の唐松観音まで往復することにした。
立派な道が川のヘリに作られているので自転車で快適に走ることが出
来る。
川を上っていくと昔我々が子供の頃に呼んでいた一中プールが出てくる。
今でも夏になると大勢がここで水浴びをする。
とにかく水がきれいなのでたまらないのだ。私にはその気持ちがよくわかる。
私も小さい頃は馬見ヶ崎川で泳いだ。プールはとても汚く思えて泳ぐのが嫌だ
った。
流れの水はとてもきれいだ。
釣り人たちのマル秘情報であるがここより上流は岩魚、やまめが釣れるんで
す。
今日付き合ってくれたマイバイスィクルです。快調でした。
走行距離は13.96キロでした。
山形が余震や放射線に負けずにこのような平和な情景が続くように祈って
いる。
平成23年4月16日
今日も春の晴れた日となった。
宮城県の亘理町を訪れてみることにした。
東北の湘南と言われた地も津波に無残にも呑み込まれた。
まず現状を知らなければ今後の有効な支援に繋がらない。何とか訪れた
いと考えたのだ。次のリンクをクリックして御覧ください。
津波被災地亘理の現地写真
それにしても災害地を完全に復旧してから訪れてみても何の痕跡も残ってい
ないのが通例であり真の被災地の悲惨さを知ることが出来ないものだ。
やはり一度は訪れて被災者と心を同じにするべきと考えている。
あの生々しい被災地の現状に立ったなら誰でもが息をのむはずだ。
ひやかしの気持ちなんかには絶対になれないものだ。
その意味からも一度は早期に被災地を訪れることが必要と考える。
平成23年4月15日
今日も気温が23.8℃まで上昇した。
庭の草木の手入れをしてみた。気持ちが良いものだ。
平成23年4月14日
日中の気温が20.9℃まで上がった。冬タイヤをようやく夏タイヤに交換した。
これから遠距離のドライブが容易になった。
平成23年4月9日
雪も山形市内からはほとんど無くなった。昨年は4月の大雪があったが今年は
もう降らないことにしてもらいたい。
我が家の庭に来る雀たちも一段と元気になったようである。
なんとかこのような平和な光景が続いて欲しいと願う気持ちになってくるが
被災地を思えば何事にも不平は言えない。
平成23年4月8日
前日4月7日深夜11時32分 宮城沖を震源にマグニチュード7.4の地震があ
った。
仙台市宮城野区では震度6強という大きな地震であった。
余震で6強は3/11以来初めて。山形市は震度4.
地震発生と同時に停電となった。深夜のことで右も左も分からない状態だが
大きな揺れの中すぐに外に出た。
近所の人と話をしたりして互いの無事を確認した。
すぐ町内を巡ってみたが大きな被害は無いようで安心をした。
停電はそのまま続き翌朝の8時50分頃にようやく復旧をした。
山形市は震度4であったが山形の北部の方は震度5を超え少なからぬ被害が
あった模様。死傷者9名とは3/11よりも多い。
とにかく毎日なんとか生かされているという気持ちにさせられている。
それにしても日本のインフラと技術基盤の脆いことに改めて気付かされている。
今回の地震では山形新聞は新潟で印刷し山形に運んでからの配布となり大き
なムダ時間と費用負担が発生。
食品業界でも仕込んで準備したものがパーになる等の大きな損害が発生して
いる。
地震、津波、放射線などの難問にさらされて東北経済は大丈夫なのだろうか等
を考えていくと夜も眠れなくなる。
それでも被災者の立場からみれば贅沢なはなしになるのであろう。
でも我々も何時避難者になるか分からないのが現状と考え心構えだけはして
いるつもりである。
各地の震度
6強 仙台宮城野、宮城県栗原築館、栗原若柳
6弱 大船渡、仙台若林、仙台青葉、塩釜、松島、利府、名取
5弱 新庄市、村山市、東根市、河北町、尾花沢(5強は山形県内には無し)
4 鶴岡市、酒田市、山形市、上山市、米沢市、天童市、大江町、山辺町
平成23年3月31日
今日で平成22年度が終わることとなる。大変な年度として永久に記憶されて
いくだろう。
震災後のJRの現状を報告する。
3/27 奥羽本線 新庄ー秋田院内間 開通
3/28 左沢線上下13本のみ運行開始
3/31 山形新幹線 新庄ー福島間開通(もっともこの区間は特急扱い区間ですが)
福島から東京へは不通
奥羽本線 全線開通
4/1 仙山線 山形ー山寺間のみ開通 仙台までの開通は未定
航空機は増便で対応しています。
次はようやく再開なった山形新幹線です。 山形新聞3月31日夕刊より
国道13号、47号、48号全て順調に車は走っている。
以上の現状です。ガソリンも元に戻ったが価格が高値安定となった。
ちなみにレギュラーガソリン 3/19 153円/リッター、3/28 159円/リッター
平成23年3月27日
今日は久しぶりの青空になったのでウォーキングに出かけた。
ガソリンも無いのでドライブなどは出来なくなったためである。
5キロ程歩き北山形駅の西側いわゆる左沢線側のホームの近くまできた。
写真は北山形駅を左沢線側から撮影した写真である。
こちらからの写真はなかなか無いはずである。あまり人が関心を持つエリアで
ないためここまで来て写真を撮る人間はいないからである。
後ろの山は蔵王山系の龍山です。
平成23年3月25日
天候一日中曇り、時々雨 朝起きた時は9℃でその後も10℃位だった。
今日も町内会関係の会議で東日本大地震への対応についての会議があった。
これからの支援について多くの方々の関心がある。町内会の役目も大きいもの
があると考えている。
雪もようやく無くなりつつある。でも安心は出来ない。
平成23年3月24日
天候 朝は晴れ。
放射性物質の情報が町を駆けめぐっている。
やはり水が心配だ。野菜は勿論だが山形ではそば屋が一番大変だ。水を大量に使うから
ペットボトルの水では対応出来なくなる。
今は冬の気候で風向きは北風が主になっているが今後春になれば南からの風になる。
そうなれば山形の方向へも放射線成分が飛んでくる可能性が高くなるので本当に心配であ
る。
テレビの解説はいつも「今は大丈夫」との視点で語っているが市民はこの先の先どうなるか
のかという視点で考えている。どうもこれもイライラの原因になっている。
又ガソリン情勢は依然として好転していない。
福島からの避難民に山形市が自転車を貸すサービスを始めたが好評だ。
平成23年3月23日
今日からようやく奥羽本線が山形から新庄まで開通をした。
でも山形から南の方へはまだ不通だ。
また左沢線,仙山線も依然として不通である。
新幹線は何時開通かは全く未定である。
JRもこの辺の事情を詳しく伝えてくれない。駅に行くと扉に当分不通の知らせが貼って
あるだけ。何故開通出来ないのかその理由に市民の関心が集まっているのに何も語って
くれないためにイライラがつのっていく。
バスは便数が減っているため超満員となっている。ただ春休みになったので少しは緩和
しているが遠距離バスは満員だ。
平成23年3月20日
今日の朝の光景。雪は道路から消えた。
ただ晴れるのは午前だけ。午後は雨とのこと。被災地が心配だ。
私の郡山に住む弟は県外疎開となる。ガソリンがないためバスでの移動になった
とのこと。
平成23年3月19日
天候快晴。ただし気温は朝9時半でー1℃、寒かった。
私の車のガソリンが残り少なくなった。病院等に行くのにどうしても必要となってきたた
めだ。
そこで今日車にガソリンを詰める行動をした。
家から2キロ離れたスタンドで入れようと思い朝6時45分に出かけたらもう道路に延々と
車の行列だった。
その行列に大人しく加わった。
ゆっくりゆっくり進み始め結局注入が終わったのは10時半だった。
それも3000円で打ち切り、灯油は販売しない等の措置は伴っていたが。
何とかしばらくは安心の気持ちになれた。
午後2時には雨となった。これで自転車が使えなくなった。困った。
平成23年3月18日
今日は幸いにも快晴となった。その分早朝の気温は相当に低かった。
山形は他県から避難してくる方の受け皿の地になっている。
本日朝の報道では県内61ケ所に3100名を超えた人数が分散して避難している。
山形市の落合にあるスポーツセンターに1000名を超える方たちが宿泊している。
山形県として135戸の公営住宅を提供する体制になっている。
今日の暖かな天候は被災者にとって幸いになった。是非体力を取り戻して欲しい。
今日段階ではガソリンが入手出来ない。
私の車も残り少ない。おかげでどこにも徒歩で行動している。
毎日道路にはガソリンを入れたい人の車が長い行列になっている。
今朝も割り込みでトラブルがあったが見ていると割り込む人の精神は全く人間性を失って
いるのだなと感じた。制止する係員を刎ねる勢いでつっこんでいく姿はある種の犯罪で
ある。車が動いているため残念ながらこの結末を見ることは出来なかった。
平成23年3月17日
今朝も大雪だ。15センチは積もった。震災地fはここよりも雪は少ないが寒さははるかに
厳しいだろう。本当に心配だ。
福島からの避難者は1600人を超えている。この雪には驚いているのではないだろうか。
この雪から放射線量が検出されたりしないことを祈るばかりである。
平成23年3月16日
前夜からの雪が降り積もった。岩手、宮城、福島の被災地にとって大変な負担に
なることに心配をしている。
今日は山形東濤会総会準備のための会がある。でも今年は開催出来る情勢では
ないと考える。
原発の情勢も本当に心配だ。あの技術の日本はどこへいったのだろう。
平成23年3月14日
東日本大地震に伴い比較的被害が少なかった山形県が被害が大きかった県へ
県をあげて支援する体勢をとることになった。
今日の山形新聞の記事を次に紹介しておく。
山形県が物資基地へ
平成23年3月13日
前日まで電気・電話が駄目だったため当然インターネットも駄目だった。
12日は午後4時半から葬儀があったのだが会場が真っ暗の中でロウソクでの
照明下の葬儀であった。
町の中は交差点の信号機はもちろん不動作。車はそろそろと四囲を確認
して通行するため渋滞が発生していた。
それにしても不思議なのは警官が交差点に出て手で交通整理する姿が皆無で
あった。何もしないでパトカーがスーット通り過ぎる姿に怒っている人が多数いた。
逆に前に見た大混雑の交差点の真ん中で懸命に手旗信号で交通整理していた
中国上海の警察の方が立派に思えてきた。
今日の朝からインターネットが使えるようになったのでやっと記事を書いています。
それにしても仙台に全然電話が接続出来ない。
相手と語れないということは本当に心配である。
どうか無事であってほしい。
平成23年3月12日
大地震の次の朝である。
御安心下さい。山形は被害が最小で済みました。
ただ昨夜は電気が来ないためほとんどの人が暖房無しの夜を過ごした。
テレビが見られないので地震の全貌が分からず本当に不安であった。
でもこのような朝の天気で気持ちが相当強まった感がした。
なお、山形市はインターネットが繋がったのは13日の朝であったので
この記事は13日の朝11時に作っています。
前日の地震の被害は私の町内では少なかったがある家で次の被害があった。
ここには夜には車がびっしりと停まっている。
昼なので車が停まっていなくて良かった。
平成23年3月11日
天気は少し改善して青空が見えたが予報では又冬空になるとのこと。
土曜日まで雪のマークである。
この写真は朝の光景なのでこの後に大地震がきたことになる。
この段階では何も予知できなかった。
平成23年3月10日
朝起きたら約15センチの積雪となっていた。
今日は高校の入学試験だ。交通が乱れないとよいのだが。
この青空もすぐ曇天に早変わりした。
平成23年3月9日
また真冬に逆戻りとなった。
更に東北は地震で大変だ。何か自然がおかしくなっているのを感じる。
結局日本で安全で住みやすいのは関東地方なのかな。
平成23年3月7日
今日は朝から雨の天気となった。
雪も融けてくれることを期待している。
平成23年3月4日
朝起きたら積雪だった。月山道路は大きな雪崩で交通止めが継続している。
開通は6日の予定とのこと。山形・庄内間は又遠くなった。
道路も積雪となった。また雪が残ってしまうなあ。
今日も1℃を越えないとの予報。
笑えない笑い話がある。「うーっ 今日は寒いなあ、冷蔵庫で温まろうか」
これは北国の人間にとっては当たり前のことなので誰も笑わない。黙って「うん」
というだけである。
さて、昨日の仙台の景色が嘘のようである。
今後一週間の天気予報は全て雪。仙台は晴れの予報。これからは裏日本と
表日本の天気が大きく変化する期間となっていく。
平成23年3月3日
今日はひな祭りだ。でも朝から雪だ。寒い一日になりそうだ。
そういえば昨日も一日中雪が舞う天気だったなあ。
参考に同じ3月3日の宮城県(仙台市の南40キロ程の町)亘理町の光景を
紹介する。
次の写真は3月3日の亘理の港の光景である。日の光が燦々と降り注ぎ明る
い気持ちに自然になってくる。左中頃の島は有名な「鳥の海」です。
ただ体感温度は風が強く吹いているために常に無風の山形の方が温かく感じる。
今亘理はホッキめしが旬のうまい物、4月になればあさりめしだ。
この港の周辺はうまいものが一年中一杯だ。いいところですね。
今回もまた海沿いの松林の中をウォーキングしてきた。
山形にいては一日5000歩が実現できない。だからここに来て走ったり、歩いた
りすることになる。いい所です。
ここで歩いた後はホッキめしを食べそして雪国の山形に帰りました。
平成23年3月2日
3月になったのだが依然として冬模様の天気が続く。今週一杯はこの天気の
ようである。隣の宮城県は青空マークが続いているのをテレビで見てうらやま
しくなる。
我が家の裏にはまだまだまだ雪が残っている。あれっ! 何か埋まっているなあ。
ああ!、こりゃ生ゴミ処理用のコンポストだ。完全につぶれている。
昨年までは同じ状況で冬ごもりに入ったのだがつぶれなかったのに。
やはり今年は雪が多かったのだろう。
このコンポストは大人が上がったくらいではつぶれて裂けたりはしないのに。
今回は完全に二つに裂けていました。
やはり雪の重さというのはすごいと改めて実感。
平成23年2月28日
いよいよ2月最後の日となった。
明日から3月なのについに今日は雪となった。
月山道路では大雪崩が発生し春の現象が起
きていたのに又雪の日となった。
まだしばらくは辛抱の期間なのだろう。
平成23年2月24日
ここ3日ほど快晴が続いている。雪も融けて気温も確実に上昇しているが
でもまだまだ春は遠い。
我が家の前の道路の雪もなかなか融けない。
日差しだけは確実に強くなってきている。
平成23年2月18日
2月も月の半ばとなった。最悪の期は越えたのだと期待している。
2月はメチャ忙しかった。こ日記も9日から18日まで跳んでしまった。
実は16日まで日本に居なかったので帰宅した時には雪は融けているんだろと
期待して帰ってきたのだが出発前と大差ない光景で実はがっかりした。
道路のコーナーには市が除雪した排せつが山のように重なっている。
小さな子供には道路が見えず危険なのだが市はこのままだ。
後は住民がやれというが日中に町に残っているのは高齢者ばかりだ。
この雪は除雪後の柔らかいうちに取り除かないと夕方にはガチガチになり
もう手がつけられなくなる。
私の家の前の道路には轍「わだち」が出来てしまった。いわゆる雪の溝である。
でもこの溝深さが15センチもある。わだちを跨いでしまうと車の底のデフがつか
えてしまい立ち往生の原因となる。向こうから車はわだちにはまりながらの走行
となりゆっくり進んでくる。
まだまだ春は遠いなあ。
平成23年2月9日
昨日は日光も射して4.3℃になったのだが今日は一転また寒い日となった。
いつになったらこの道路の圧雪が消えてくれるのだろうか。
平成23年2月6日
まだ道路は圧雪だ。大通りは除雪をしたので完全に融けているが裏通りは除雪
はしてくれないため次の写真のようにまだ道路は雪道である。
まだまだ雪は降るのだから気を抜けない。
平成23年2月3日
日差しが強くなってきたことを感じるようになったがまだまだ冬の真っ最中だ。
春は何時来るのやら。
平成23年2月1日
早いものでもう一月も終わり2月となった。
雪はここからが本番だ。まだまだ気は抜けないが体力が限界だ。
今日の朝もまた雪で向いの駐車場の車は雪に埋もれている。
出勤の時には大変だろうなあ。
平成23年1月30日
全国的に大雪になっているが山形はまだ良い方のようである。
しかしそれでも毎日雪が降り続くと気が滅入る。
今日も朝起きたら雪だ。車の雪を除くのも億劫だし落とした雪を片づ
けなければならないと思うとうんざりだ。
通りはこのとおりに圧雪状態だかこの状態が1月初めからずうっと
続いているがこんな状況は初めてだ。
平成23年1月27日
今日も一日寒い曇った日だった。時折日が射すがすぐに曇るし雪も一日中降る。
ここで夜の光景を紹介する。
とてもムードある光景だが寒さはすごい。撮影後に早々と家に入り熱燗で・・・としよう。
だあれも歩いてなんかいない。まったく ゆーきのをふうるまちを のムードです。
平成23年1月23日
今日は雪の山形の北部方面を紹介する。
山形市から北に向かうと天童、東根、楯岡と進んでいくがここからが雪の名所に
なる。楯岡の北の袖崎を過ぎて尾花沢と進めばもう大雪の地区となる。
今日は尾花沢から北へ向い芦沢の道の駅まで行ってみたのでその様子を紹介
する。ここから新庄までは夏なら20分くらいなのだが。今日はどの位かかるやら。
さて、今走っている道路は立派な国道13号線である。決して山岳道路ではない。
でも次の写真がその国道の様子である。
ここは通常は2車線なのだが両側に除雪した雪の壁のため1車線になっている。
これで吹雪かれると前後は全然見えないし自分がどこにいるかも分からなくなる。
まごまごしていると後ろから追突される羽目になる。怖いよ雪道は。
参考に述べると今走っているこの道路は高速道路なのである。
ただ現在は暫定使用ということで無料化しているのだが将来は高速道路として運用
されることになっている。
でも大丈夫なのかね。将来もこのような状況なら私は走らない。
交差点には当然停止白線なんかはありえない。
十分に遠くから減速して交差点の手前に停止する必要があるが後続車からの
追突が多く発生する。常に後ろを見ながら減速する。
ようやく目的地の道の駅への下り線に近づいた。しかし下る道なんか見えないよ。
今日は晴れていたから良いが曇りで吹雪いていたらおそらく見えないなあ。
左側の柔らかい雪に一瞬でもタイヤが触れればすぐに雪の壁に取り込まれて突っ
込んでしまう。
今日もここまで3台が突っ込んでいた。
一度突っ込んだらもう自力では戻れない。JAFを呼ぶしか方法はない。
除雪態勢も次の写真のように一つの編隊を組んで行動するのだが降雪量に除雪の
量はいつも追いつかない。
以上が1月23日の山形県の様子です。
平成23年1月21日
今日も降ったなあ。もういい加減にしてくれの気持ちとなる。
一日中この光景です。どこに行くにも長靴が必要です。
庭もすっかり雪の中の状態です。
平成23年1月20日
今日はまず山形の光景と仙台の光景を比較してみようと思う。
わずか30キロ位離れるとまったく異なった光景になるのである。
次の写真はこの日の山形市円応寺の様子です。左側奥の地域が五中近辺です。
次は円応寺公園の現状です。とても中になんか入れない状況です。
さて、そこで同じ日の仙台地区の様子を見たいと思いませんか。
実は私、この写真を撮った後すぐに仙台方面に行ってきたのです。
その報告を下記のリンクから見て下さい。
今の仙台を見る
平成23年1月19日
18日はしばらく振りの晴れの日だった。ようやく屋根の一部の雪下ろしをした。
19日は朝から雪だった。なかなか晴れの日は続かない。
この写真の時午後2時は外気温5℃、湿度65%。雪が降っていても5℃なんだ。
私の部屋のすぐ前に雀たちが集まり私に餌を催促する。
鳥インフル問題もあり難しい問題になってきている。
でも目と目が合うとなあ!!。
平成23年1月17日
16日は一日中雪だった。外は圧雪、車を出す気にもならない。ひきこもり状況だ。
ところが17日朝起きてびっくり。15センチは積もっている。しかも降りしきっている。
こんな天気がここ当分続くという。ひたすら辛抱だ。
車もスッポリと雪の中。雪を落とす時は慎重に丁寧にしないと塗装を痛める。
全て人間が自分の手でやらねばならない。これからは屋根の上の雪を降ろさねば
ならないがこれが危険なので大変だ。
私の町内はほとんどが私の年齢以上の高齢者ばかりだ。どうする。
さて、排雪も限界になってきた。道路の雪を投げる場所も無くなってきた。
その状況が次の写真である。これからは町中がこの状態になる。
結局仕方ないからこうなったら自分の庭に逆に投げ込むしか方法がなくなる。
公道の雪を私有地へ移動させるわけである。どうもすっきりしないのだがこれしか
方法がない。
平成23年1月15日
今朝起きてみると外は積雪、さっそく雪かきです。
珍しく雪はサラサラの粉雪。今までの雪は湿っていて重くスコップで持ちあげれば
ボディビルの良い訓練になったものだ。
でも今日の雪は違う。
我々はこのようなために備えて雪かき用のスコップは何種類も持っている。
今日のは押していくだけで排雪出来るタイプを使う。
とにかく道具をうまく使い分けて体力を消耗しないようにしていかなければならない。
雪もまもなく塀の高さに達するだろう。
ここで問題。このままでは壁際も満杯で余地が無くなるし道路にも投げれない、
さて、どうする。
さてこの後この膨大な雪の処理をどのようにしていくのでしょうか。
考えてみて下さい。
平成23年1月12日
イヤーアッ 今日は寒く朝から雪降りだ。一日降っている。
写真は午後1時の光景。
とても何をするのもいやだ。今日はこれから天童で一泊で新年会だ。
何で行ったら良いのだろう。車で行けば明日の朝雪の中から車を掘り出す羽目にな
る。
昔は駐車場係が車の雪を降ろしてくれたが今は誰もそのようなことはしてくれない。
自分の車をスッポリ雪をかぶった多くの雪だるま状の車たちから選び出すのも大変
なんです。
汽車で行こうか等の考えが頭をよぎる。
とにかくその日の天候で気分が左右されるのである。
テレビを見るとやけに南イタリアの光景を映し出す番組が目につく。
やはり日本全体が明るい太陽のシーンを望んでいるせいなのだろう。
こんな天気があと一週間続くと天気予報がされていた。アーアッ!
平成23年1月11日
昨日は山形の初市であった。昨年の快晴とは異なり今年は雪の初市となった。
寒いので私は今年は家から出ないでホームページ更新の作業に集中してしまった。
1月11日は朝から雪で3センチ程の積雪であった。8日と比べると軒下のつららが
大きく延びているのがおわかりと思う。
でもこれ位の積雪で済んでいるので感謝、感謝である。
平成23年1月8日
久しぶりに明るい朝だった。
今日は山形市北にある北部公民館の新年会で私たちの町内会バンドの演奏の日だ。
リーダーとしてホットした。なぜならドラマーの武田俊章君が積雪があると山形市に出て
これなくなるからである。この位の積雪なら来てくれると安心をした。
平成23年1月6日
実は山形市の三が日は天気が良かった。珍しく晴れの天候で道路には積雪が無く、
スニーカーで歩ける位だった。北陸の大雪のニュースを見ながら複雑な心境だった。
本来ならあの光景が山形の光景だったのかなと思ったりした。
さて、6日ともなるとやはり天候も崩れてくる。今日の朝は小雪が舞った。積雪1センチ
くらいである。とにかく近年になく雪が少なく住みやすいがこのままでいくとは思えない
ので警戒をしながらの生活となる。
平成22年12月25日朝
クリスマスイブの24日から天気は悪化した。
24日は雨模様となったが午後遅くから雪交じりとなった。
こりゃ積もるかなと懸念したが案の定午後8時頃からは本格的な雪となり白一色の
クリスマスイブとなった。
一夜明けて25日の朝はやはり積雪していた。
一年振りに雪かきの作業をした。これも体力づくりの一つと考えると慰められるのだが
問題はいつまで体力が持つかということだ。
もっと詳しくこの日の様子を知りたい時はここをどうぞ
平成22年12月20日
現在まだ積雪はない。12月15日に山形市内で2センチ位雪が積もり車の窓ガラスを覆い、
久しぶりにガラスの雪かきをしたがそれ以降は雨は降るが雪は無しの状態で暮らしには
助かっている。このようなことはこれまで経験をしたことがない。
例年は11月20日前後に10センチほどの積雪、そしてむ12月中ごろにまた10センチ
程の積雪がありそれが根雪となり庭や家々の北側に雪が残るのだが今年はどこにも
雪が無い。
12月20日の町内の様子が次の写真です。
このページの前に掲載してある昨年の12月の写真と比較して下さい。面白いですよ。
平成22年11月8日
上山の柿も良い色になっています。今年の柿はおいしいです。
これからは柿、ラフランス、リンゴと果物好きの私にとって至福の季節が続きます。
果物は皮付きのまま一個まるまる食べるものですよ。
次は赤湯温泉の西北、宮内にある熊野神社の隣の山にある双松公園では秋の菊祭りが
始まりました。
名物の菊人形です。場面は伊達正宗が豊臣秀吉に釈明のために呼びつけられ厳しい
糾弾をぬらりくらりとかわす有名な場面です。
菊の花が有効に使われています。でもこの菊の花は何故一カ月もの長期間飾っていられ
のでしょうか。考えてみて下さい。
平成22年10月14日 馬見ヶ崎川下流へとツーリング
暑さが和らいだので久しぶりに我が島間のマイバスィクルでツーリングをした。
これまではちょっと動くだけで汗がものすごくとても動く元気は無かった。
コースは我が町宮町から馬見ヶ崎川をどこまでも下ることにした。
馬見ヶ崎川は国道13号線沿いに下り野呂川と交流し白川となり更に5キロ位下流で須川、
立谷川と合流して長崎地区で最上川へと流入することになる。
今回はこの合流点まで走ることにした。往復24キロ。
川の両側は良く整備され自転車で走るには絶好の環境になっている。途中高速道路に
行く手を遮られながら続いていくがとても快適なコースである。
あまり他人には教えたくない道である。
近年は良いとなるとどこも人が大勢集まり良さが無くなってしまう。
次の写真は白川の下流から上流側を見たもので背景の山は蔵王連峰である。
この辺は山形市と天童市の境界地区の成生の里近辺である。
あたり一面に黄色の雑草が繁茂しているがこれはセイダカアワダチソウである。
これだけの量であるから花粉症にはつらい。
ものすごい繁殖力を持っているが生えない所には一本も生育しないのだから面白い。
背景の山は楯岡の甑岳近辺である。
次は上山から流れてくる須川が馬見ヶ崎川と合流する直前に近い地域の光景である。
左側の橋は酒田方面へ向かう高速道路である。
この一帯は野鳥の天国である。上流では魚が住めないがここまでくると魚は生育して
おり釣り人もゆったりと糸を垂れている。
ここで私のマイバイシクルを紹介しておく。
この自転車も国内では生産しておらず高級品は全て台湾製が主体となっている。(安価な
製品は中国製)
あのイタリアもフランスも生産は台湾に委託してブランドだけで食っている。
価格も高価でうっかりすると中古のバイクが買える位のものが氾濫している。
昔の自転車の感覚では着いていけなくなっている。
なお装備は優れており超小型コンピュータ搭載のサイクルメータを持っており時刻、瞬間
時速、走行距離、平均時速等を瞬時に計算表示してくれる。
もう少し高価なものにはGPS機能を持ち道案内をしてくれるものもあるが私はそこまで
は必要はない。まだ私のカンピュータの方が正確だ。
平成22年10月2日 山形はおかげで豊作となりました。
今年はつや姫という米がブランド米として本格デビュー話題になっています。
このつや姫美味しいですよ。ご飯をおかずにご飯が食えるという感じです。
食いすぎて困る面もありますが本当に美味いです。
背後の山は月山です。あまり天気が良いので霞んでしまいました。
山はススキが一面となりつつあります。今年の冬は厳しいんだろうなあ。
平成22年8月7日 蔵王ドッコ沼周辺の景色
若い時に何回も訪れたドッコ沼の様子を紹介する。
沼の周辺はホテルの建物もリニューアルされて昔のような深山幽谷といった神秘
感は既に無い。
ただ沼の色だけはきれいなコバルトブルーで沼の中に引き込まれそうになる雰囲
気を保っている。
沼の西側のほとりである。
沼の色がなんともいえない。
ドッコ沼の近くには今も三五郎小屋が立っている。
瀟洒なアルプスの山小屋風の建物で多くのスキーヤーに親しまれてきた。
ここは夏も開かれているので私は孫たちを連れて時々ここでゆっくりと食事をする。
ここの食堂は名物になっているが手入れが良くされている。どこもここもピカピカで
ある。ここのオーディオ装置も一聴の価値がある。
ぜひ蔵王温泉を訪れてドッコ沼周辺を散策して欲しい。人生がリフレッシュされます。
平成22年5月9日
白鷹町西部の葉山とお花畑の光景
山に残る白雪と黄色い花の鮮やかさが重なる何とも言えない光景になっている。
この地の周辺は桜街道となっており桜の古木が点在している。
とても優雅で雄大な桜の巨木が聳えている光景は日本の原風景であると感じる。
平成22年5月5日
尾花沢市郊外の徳良湖湖畔の様子
花笠踊りで名高い尾花沢の東5キロの所に徳良湖という池がある。
この池の周辺は春になるとまるで桃源郷である。
綺麗に整地された畑と新緑の木々、種々の花が互いに競い合う素晴らしい光景で
ある。
今回はその池にはためく元気の良い鯉のぼりの光景を紹介する。
有名な大正ロマンの温泉地銀山温泉はすぐ近くである。
平成22年4月26日(月)
霞城公園の桜
山形市の桜はいろいろの所で見られるが代表的な所はやはり霞城公園の土手の
桜と千歳山公園の桜であろう。
この日は天気も良かったので霞城公園まで徒歩で行ってみた。
平日にも関わらず多くの人がいた。老人ばかりかと思っていたがそうではなく若い
男女も結構多く居た。なんとなく日本の将来に安心した。
まず正門の大手門の前の桜を見てから場内に入ることになる。
東濤会会員が高校生の頃は場内には何も無かったのだが近年は着々と整備され
てきている。
正門前の鉄道線路の写真である。この正面の桜はとても見事である。
私もいろいろの地の桜を見てきているがこれくらい見事なボリュームで堀にかぶさっ
ている桜は珍しい。
土手の堤の桜である。この本丸堤は一周すると3キロ近くあるが相当に広い城だっ
たと言える。二の丸、三の丸と堀が巡らされていたのだからこの堀が現存すれば
全国でも有数の城だったのにと惜しまれることである。
最上義光の騎馬像である。この像は銅町の鋳物業の美術工房の作品である。
チーフは私の先輩であるが彼らの名前はどこにも出てこない。
これは山形市の重要文化財の済生館である。
昔は病院として活躍していたが今はここでゆっくりと余生を楽しんでいる感がする。
霞城公園のすぐ外側の東域にあるのが最上義光の資料館である。
去年はNHKテレビの大河ドラマ「天地人」のおかげで参観者も増えたようである。
この資料館があるエリアは美術館と緑に囲まれた公園もあり気持ちが休まるところで
ある。
平成22年4月25日(日)
私の町内の名所、鳥海月山両所宮もようやく桜が満開となった。
ここは本当に心の落ち着く場所である。私もよく散策するがやはり今の季節が
一番良い。
平成22年4月19日(月)
山形市桜開花宣言なる。
ようやく山形市の桜開花宣言が正午に出された。
でもその後の天気はぐずつき桜を愛でる環境にはなっていない。
通りには雪がある。
平成22年4月17日(土)
やられたーの一言につきる。
前夜に深夜から雪になると予報されていたのでそれなりの気持ちは
持っていたのだがこれほどとは思ってもみなかった。
四月のこのような大量の雪は私の記憶では思い出せない。
このような雪になれば交通機関は動けない。
幸いにも土曜日だったので出勤者が少ないのは救いだ。
それにしても桜はどうなる。
又開花が遅れる。山形市はまだ開花宣言していない。
4月13日に長野の有名な高遠城の満開の桜を見てきたばかりだ。
あまりにもこの落差は大きすぎる。落胆の一語。春はまだ遠い。
折角の土曜日なのにこれでは動けない。観光客をあてにしていた商売はフイ。
ゴルフ場も開いたと思ったら又閉鎖。
スリップ事故も増えるだろう。果樹の新芽もやられるだろう。さくらんぼ大丈夫か。
地方にとっては大きな打撃だ。
私も今日は家に閉じこもりだあ。
結局今日の雪の記録は次のとおりだった。
この時期の雪としては45年振り、山形市の積雪は正午現在19センチでした。
一日中雪は残っていました。
平成22年4月10日
外孫の長男の小学校入学式も無事終了した。
今日はその二男の方の幼稚園入園式の日となった。
ほんとうに月日の経つのは早いものだ。
天候も落ち着き我が家の庭の鳥の寄せ場にも雀たちが安心して来るようになった。
やはり鳩が来た。近くに両所の宮がありそこの鳩はどこにでも出張してくる。
でも仲良く共存して食べているようだ。
平成22年4月6日
昨日は雨。ようやく今日は暖かな春の日となった。
山形市の7キロ西の山の中に作谷沢がある。
完全に山中の盆地となっており春の訪れは遅い地である。
でもようやくこの地にも春が訪れようとしている。
所用でこの地の知人を訪ねたがその時の光景である。
次の写真は作谷沢の樋口沼である。例年ならまだ氷が張っているのだが今年は
このような状況です。でも沼の一周は積雪で不可能でした。
作谷沢から山辺に抜ける途中の山中の光景です。
この雪も見られるのはあと少しです。
冨神山から眺めた山中の光景。山の向こうは上山市。
山菜が出るのももうすぐだな。
平成22年3月25日
やっぱり駄目だった。春を迎えるのは。
又、雪の天気となった。まだまだスタッドレスタイヤは外せないなあ。
車の屋根も雪に覆われた。
餌を食べに来る雀も寒そうだ。
平成22年3月22日
やはりお彼岸の節は天気が荒れる。
今年は全国的に大荒れだった。今や千葉は強風、竜巻の名所と化している感がす
る。
幸いにも山形は強風はあまり吹かない。有難いことである。
ただ雪は降る。22日の朝も雪だった。でもこの後は春だろうといつも期待して見事
に裏切られることの連続である。
平成22年3月19日
久しぶりに晴れの天気となった。
自転車に乗りたくなり自慢のマウンテンバイシクルを掃除して磨きピカピカにした。
さっそく銅町の千歳橋から下流の方へ片道6キロのサイクリングをした。
まだ手袋をしないと風が冷たいが久しぶりの自転車ということもあり心地よい1時間を
過ごした。
次の写真は二口橋と千歳橋の中間の堤防から見た光景でうっすらと月山が見えるのが
おわかりだろうか。春は間近である。
平成22年3月17日
今日は高校入試合格発表の日だ。なのに雪が降った。
受験生は大変な気持ちだろうなあ。
こんな気分を反映してか朝から雪がちらつく日となった。
平成22年3月12日
さすが3月に入ると雪が積もっても消えるのは早い。
御覧のような光景となった。
我が家の庭には雀たちの餌場があるが雀たちの動きも活発になってきた。
平成22年3月10日
前回のレポートで予言していたことが当たってしまった。
今日は高校入試の日というのに受験生は大変だろう。
今日までの暖かさで(といっても例年に対してだが)花芽がほころんだのでこの雪が
どう影響するか心配だ。
この次の21日前後の雪で春に向かうはずなのだが。どうなることやら。
平成22年3月2日
もう明日はひな祭りという時にまた積雪となった。
やはり春は遠かったなあ。
今後は3/10前後、3/21前後には積雪の可能性が大きい。
じっと春を待つことにするか。
今日の雪は歩き回るには最悪の雪だ。じっと閉じこもることにするか。
平成22年2月22日
ようやく少し春めいてきた。
道路の雪は消えてきたが建物の北側にはまだ残っている。
なんとかこのまま2月を乗り越えたいのだが果たしてどうなっていくだろうか。
この日誌の昨年の2月20日の項を見ていただければお分かりだが昨年は雪で埋めつく
されていることが分かるだろう。
だからまだまだ油断は出来ない。
特に近年は温暖化の影響だろうか晴天が続くと日本海の水蒸気が大量に蒸発して空に
残りちょっとした寒気で冷却され大量の積雪になるパターンが一般的になっている。
だから地元の我々には晴天続きの後は気をつけろが合言葉である。
今日2月22日の朝の様子を紹介する。
次は通りの東側の光景である。
平成22年2月8日 ゴルフ練習場の様子
昨年も紹介した冬のゴルフ練習所の光景を紹介する。
場所は山形市の南東部、蔵王高等学校のある丘の上と言えばご理解いただけると思う。
写真の向こう側が南方角である。曇り空の時は打つ方向も真っ白になるためにどこに打って
いるのかまったく分からない。ましてや落下地点など分からない。
ただひたすら打つだけである。
左側の朝日が射すとボールなんかは見えなくなる。でも雪国のゴルファーはひたすら打つ。
平成22年2月6日の山形市
2/3の紹介では山形市では雪が無いと報告しましたがついにやって来ました、本格的な
冬が。2/3の雪あたりから雪の質が変化していました。さらさらした粉雪に変わってきて
いたのです。こりゃ寒い冬の到来かなと思っていたらやはり冬本番となりました。
昨年も2月の中旬からが猛烈な雪になっていたので今年も同様のパターンかなと思います。
今日も雪かきが大変だなあ。でも体が温まるのでよい事もあります。
道路は完全な圧雪です。
平成22年2月3日の山形市
2/3の様子を紹介します。
これまで積雪が無く雨が多かったのですがこの日の朝は15センチ位の積雪でした。
久しぶりに雪かきをしました。
この日は車のスリップ事故が山形市だけで20件を超えたとのニュースがありました。
それにしても今年は根雪(積もった雪が春まで融けないままになる)が無く恐らくこの日の
積雪も融けることと思います。
なにしろこの日まで田圃にも雪が無かったのですから例年とは大きな違いです。
気象予報は大変なことと思います。この日のまとまった雪も実は予報されなかったので
すから。とにかく30キロ離れたら天候は逆になる状況です。
2/2も山形市は積雪があったのですが米沢市に用事で電話したところ雪は降らなかった
とのことであの積雪で有名な米沢が雪降らずで山形市の方が積雪ありという状況に何か
天候に異変ありの感がしています。
平成22年1月19日 尾花沢近辺の様子
山形市は幸いにも大量の積雪は無く16日の様子の延長となっている。
それでも裏通りは圧雪になってはいるが。
さて、それでは山形市よりももう少し北の地域はどうなっているかを紹介しようと19日に
尾花沢市、金山町の方に出かけてみた。
さすが雪の名所ということもあり北へ進むに連れて積雪が多くなっていく。
次の写真は尾花沢の町に入る少し手前の様子である。
次の写真は尾花沢を少し過ぎた芦沢にある道の駅の駐車場の光景である。
これだけの雪を集めるのだけでも大変なことである。
道の途中から見た光景だがここは新庄を過ぎた地域にある神社の鳥居である。
春までお参りには行けません。
屋根に上がって雪降ろしをしている人がいた。
どう見ても私より年上だったなあ。大変だなあ。滑ったら一巻の終わり。
ここは新庄の北、金山町の光景です。
春になればこの辺の小川には鯉が泳ぎ多くの観光客が訪れる地なのですが
やはり今は観光客は居ませんでした。
この金山町の光景は本宅のホームページでまとめてお伝えする予定です。
今年の雪は例年よりも湿っていて重いのが特徴です。
また、天気予報は困難な状況です。
それは天気が局地的で少し地域が離れると正反対の天候になってしまうのです。
幸いにも山形市は外れの地域に該当しているようで「今晩から大雪になります」と
予報されても当たることはなく済んでおり予報はずれを喜んでいます。
平成22年1月16日朝
今年の元旦はやはり雪だった。
それまでは積雪が無かったのでひょっとすると雪の無い正月が迎えられるかな
と期待していたのだが無理だった。当然だろう。
でもその後は晴れも続き例年なら吹雪の中で催される山形恒例の初市がなんと
今年は快晴の天気の下で開かれた。なんとも天気の乱高下が大きくなっている感
がする。
さて1月16日の朝の様子を次の写真でご紹介する。
平成21年12月19日
今日は朝から吹雪である。
写真を見ていただければわかるがこれは本格的な真冬の光景です。
これからは厳しくなるばかりです。日本の景気と同じです。
山形はこれから大丈夫なのかな。
平成21年12月18日
at last ついにやってきた。今年は雪の無い正月が来るかと期待をしていた。
気象庁も今年は雪が少ないと長期展望を出していた。だから期待していた。
しかしこのような願望は打ち砕かれた。ついに冬将軍様がお見えになった。
これからは丁重に、機嫌を損なわないようにうやうやしく冬将軍様にお使え
していく。
次は朝6時の光景です。
車も雪で埋まっています。
平成21年12月6日 朝日岳の光景
今年はまだ一度も積雪がない。例年なら屋根には雪が積もっているのだが
まだその光景は無い。この調子でいって欲しいのだがどうなるものやら。
町の中は雪が無くてもやはり山には雪が積もっている。
山形市の西方の朝日岳には純白の雪が積もっている。
望遠レンズで撮影してみた。
冬はもう間近である。
平成21年11月18日 大江町の秋
山形市西部の旧名左沢で現在大江町になっている地区は風光明媚な地区で
本ホームページでも何回か紹介をしている。
この大江町の地区も現在晩秋真っ盛りである。
この眺めは大江町の東部にある温泉施設テルメ柏陵です。
この一帯は最上川が大きく蛇行してU字型にうねっている地帯で周囲は果樹園と
なっており春先はまるで桃源郷のようになります。
でも何といっても一番有名なのは民謡「最上川舟唄」発祥の地としてであります。
江戸時代の元禄年代からは日本海の酒田からこの最上川による船運で遥か米沢の
地まで米を運びましたがその時の船頭さんたちが歌っていた舟唄がその元歌でした。
昔といっても昭和40年代はこの一帯には鮎をとる簗場(やなば)がありました。
そしてそこには料理屋があり美味しい川魚を味わうことが出来たのです。
私も何回か山形市から乗り込んでおおいに楽しんだものでした。
でもそれらは全て夢の世界になりましたが近年簗場だけでも復活しようという気運が
おこり出来たのが次の写真の所です。
写真では分かりにくいのですがシーズンになるといろいろの仕掛けや小屋がけ等も
出来て結構賑わう場所となります。
白く川の中に線が引かれたような場所が簗場の一部です。
夏になるとここには大きな仕掛けが現れます。
次はこの温泉施設の全容です。ここの食事も美味しいですよ。
この写真を撮った場所を紹介します。
次の写真の正面に山の中腹に白いガードレールが見えますがこの道を登った途中から
撮影しました。
次の写真の橋は栢陵橋といいます。この橋が無かったときは山形市からこの地に
来るときは大きく迂回を強いられましたがこの橋のおかげで本当に便利になりました。
地方にとって道路は大切なものです。
ぜひこの地を訪れてみて下さい。
平成21年9月23日 山形市大曽根地区の今
山形市周辺の田圃は今綺麗な黄金色と純白の色が互いに競い合っている。
今年の米は豊かな稲穂をつけて頭を垂れている。豊作だろう。
そしてその隣では蕎麦の白い花が咲き誇っている。
まもなく美味い蕎麦が食えるぞと楽しみの気分にさせてくれる。
現在の大曽根地区の畑の様子を紹介しよう。
このあたりは一面の黄金色である。
背景の山は富神山である。ここの左側の地が直江兼続軍と最上義光軍が対峙した長谷堂である。
蕎麦の花が満開である。この白い花が終わればいよいよ刈り取りだあ。
コスモスも満開です。どこを見ても花、花です。このような地が人間の住む地ですよ。
これを毎日眺められる自分は幸せです。常に感謝、感謝の心境です。
平成21年7月17日 山形県庄内浜の今
山形庄内浜は夏本番の季節となってきた。
映画ロケーションの地として有名になった庄内地方であるがやはり庄内と言えば
日本海に面した庄内浜を紹介したい。
冬の日本海は大変厳しいことは有名であるがその厳しさは終わり穏やかな海の
様相を示してくれている。
7/17は珍しく晴れた穏やかな日だったので山国の山形市を離れて庄内浜に
向かった。
庄内浜も南北に長いのでどこに行こうかと思ったが一寸遠いが南の浜に向かった。
鶴岡市加茂の港を出発して海岸に沿って由良港を目指した。
由良の名所は白山島である。まずはここに行かねばならない。
白山島への橋を渡ることにする。なつかしいなあ。何回この橋を渡ったかな。
ここに来るといつもこの橋を渡り正面の白山島へ登ったものだ。
今回は時間の問題で山頂までは登らないことにする。
この橋を渡り白山島に着けば島巡りの遊歩道が待っていてくれる。
天候が悪いときは危険で歩けないが今日は大丈夫。
次の写真がそのコースだが今回行ってみたら完璧に整備されていた。
以前は波が頭から被さってきたり落石があったりで上を見たり海を見たりと忙しかった
今回はゆっくりと光景を楽しむことが出来た。が
改めて由良の海岸を紹介する。ここは温泉地で砂浜のすぐ近くにも温泉がある。
遊歩道の途中にはこの写真のような桟橋がある。
今日ものんびりと釣り糸を垂れている人たちがいた。いいなあとうらやましくなった。
最後にもう一度橋を来た方向に向かって眺めた景色を紹介する。
由良は歴史のある地で有名な羽黒山の開祖蜂子皇子が八乙女に迎えられここに上陸して
三本足の烏に導かれて羽黒山に入山したという伝説は有名である。
この由良の海岸の南側の岩壁(船でしか行けない場所にある)洞窟があるが、ここは羽黒山
まで続いているとの伝説もまたあるのである。
是非訪れて欲しいと思う地である。
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平成21年4月17日 山形市霞城公園の桜を見に行く
山形市も桜が満開となった。山形市の桜の名所の一つは霞城(かじょう)公園の桜である。
石垣で囲まれた霞ケ城(かすみがじょう)は全域が桜で埋められておりその桜の木の数は
約1500本である。戦前はこの城内は歩兵聯隊駐屯地で戦後もしばらくの間木造の古い
建物が多数あった。私の子供の頃のイメージは何となく暗く静かな場所というものであった。
でも私たちは元気に石垣の上の土手を自転車で走り回っていた。
今年も桜の季節がやってきた。妻と二人で桜を見ようと出かけた。
次の写真が歩兵聯隊の跡地であることを示している。
霞城公園の東側の堀のすぐ側を電車が走る。ここは山形新幹線、仙山線、左沢線が
それぞれ走っている。列車はここで徐行運転して乗客にサービスしている。
堤の桜です。
堀の西北側の桜である。堀の水も綺麗で桜と空の対比が楽しめるポイントである。
堤の上は両側が桜である。歩いていて気分が良くなってくるのが分かる。
名物建築物済生館です。昔は町のど真ん中にあったのですが今はここ霞城公園の中に
保存されています。
徐々に霞ケ城の復元が行われています。まず最初に大手門が復活されました。
復元された城の一部です。
発掘現場の様子です。
ここ霞城公園は市民の憩いの場として年々訪れる人の数が増えています。
やはりこの桜の時が最高潮となります。
平成21年4月13日 山形市薬師町護国神社の様子
神社側から南の鳥居側を見た景色です。
東側堤防側の景色。大変綺麗な桜です。
平成21年3月21日 山形市西側から白鷹町へ抜ける348号線周辺の
景色
山形市志戸平付近から眺めた月山。
月山の左の裾の一番低い所を通っていくのが国道112号線。山形市から日本海
へ抜ける主要道です。
ずいぶん高い所を通っていくのですね。
同じ所から見た村山葉山です。手前の木は桃の木です。
咲くと綺麗なピンク一色になります。その頃の山形は桃源郷になります。
虚空蔵様白鷹山を望む。この山の下部地帯(積雪部分の下、その前の山群の上)が
天地人の主人公直江兼続と山形城主最上義光勢との一大合戦場になりました。
山辺の小鳥海山です。この山のすぐ下に僻地の学校があり昭和60年代だったかな、
あの「さんま」がバスでやってきて子供達と遊んでくれました。
あの頃の彼は輝いていたなあ。
この道の延長にある山の下の町が山辺町です。
348号線を進み白鷹町(昔の荒砥)に近づく地点から見た大朝日岳。
直江軍はこの山脈の稜線付近に大八車や軍馬が通れる軍道を作ったのです。
どえらいことを昔の人はやったものです。
山形の西にそびえる大朝日岳の勇姿です。
平成21年3月7日 ようやく雪が無くなったが
ようやく雪のない朝となった。ただ雪は舞い寒い朝である。
でも次のシーンのように土が見えてきた。
北側の駐車場にも少しだけ雪の残る状態です。
でもこれが最後ではない。これからは重いドカ雪が降るのです。
毎年3月中旬には最後の大雪が降るのが常です。
平成21年2月20日 相変わらずの雪景色
相変わらず雪、雪の毎日です。いつものシーンです。
山形に来るときは3種類の靴を用意して来た方が良いです。
一つは長靴、次に雪道用の滑り止め付き短靴、そしてウォーキングシューズ。
どれを使うかはその日の天候で決まる。
平成21年2月17日 またまた大雪
今年の冬は雪がないまま終わるかなと期待させられていたがやっぱり
裏切られた。
次の写真はは2/15,2/16日と東京に行ったときの写真です。
孫を連れて上野の動物園に行ってきたのです。上野ではシャツ一枚でも
暑くて困った気候でした。写真は上野動物園の前の広場です。
ところが2月16日に山形に帰ると那須あたりから曇り空と なり、板谷峠からは
完全な吹雪でした。これは積もるなあと心配しながら家に帰りました。
山形も当然雪でした。
さて、一夜明けてびっくり。ものすごい雪なのです。今冬最高の積雪となりました。
昨日までの東京の光景を知っているので、この東京と山形の差を更に大きく
感じました。
なおこのときの東京の天気は晴れマークでした。この雪は17日一日中降っていました。
鹿野君のポスターも寒そうです。雪片付けもくたびれたー。
平成21年2月9日の山形 冬のゴルフ練習所はどうなっているのか。
冬の期間、ゴルフ練習所はどうなっているのでしょうか。
だれでもがこの疑問を持つことと思います。
結論は「夏と変わらない」が正解です。
冬だからといってゴルフ練習所の経営を中断したりしたら通常でも経営が
大変な北国のゴルフ練習所は潰れてしまいます。当然真冬でもやります。
ではどのような状況になっているかを見てください。
ボールは当然雪の中。さてこの雪の中のボールはどうするのでしょうか。
考えてみてください。
ゴルファーは皆たくましいですよ。雪の日は当然雪が吹き込みます。
でもそれに負けてはいられません。
平成21年1月31日の山形
やはり前回の危惧が的中してしまいました。雪が少ないぞなどとしゃべると
大雪になるぞとの予想が当たってしまいました。
1月31日は朝から大雪になりました。一日中降り続けました。
私はこの日、ボランティアのために上山まで行かなければならなかったので
すが道路も渋滞の状態になり時間がかかってしまいました。
とにかく暖かくなったり大雪になったりと毎日目まぐるしく変化する天候なので
風邪がなかなか抜けません。
これからは雪の無い話などはしないでひたすら山形の雪を追っかけたいと
思います。
では1月31日午後4時の我が家の周辺の光景を紹介します。
平成21年1月26日の山形
以前にお知らせした年末の様相は雪一面の状況でしたね。
ところがその後様相が変化してきています。1月に入ってから例年あった
大量の積雪が無いのです。
今回のホームページの表紙写真は1月26日の写真ですが比較的山に近い
所でも雪がありません。助かっています。
私の町内の道路の様子を示します。
また私の家の狭い庭も次のような光景です。これも1月26日です。
以上示したとおり現在積雪がありません。
なんとかこのまま行って欲しいと願っているのですが。
でも安心は出来ないのです。この写真と同じ日の酒田市は何と30センチ
の積雪となり大混乱しているのです。
とにかく今年は米沢、新庄の積雪が少なくなり県民はとまどっています。
確実に気候は複雑に変化しています。しかも局所的になっています。
でも往々にしてこのように積雪が少ないなどと報道すると必ず逆の方向に
情勢は向かっていくのでそうならないように願っています。
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平成20年12月27日の光景です。朝外に出てみたら雪がノッソリ。
車も雪に埋まっていました。それを掘り起こし、除雪をして道をつけると
もう体はクタクタです。
若いときは何ともなかったのですが我々の年齢になるときついです。
お分かりでしょう、ご同輩!
次は私の家の前の小路の様子です。12月なんですよ。
これで2月になんかなったらどうなるんでしょうかね。
以上 平成20年12月27日の現況です。
地方の大変さご理解いたたければ幸いです。
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