被災地を訪れる       平成23年5月15日

 平成23年3月11日の東日本大震災から2ケ月が過ぎた。
 当初の被災地は大混乱の状況であったがようやく少し落ち着いてきたようである。
 最初は被災地を訪れることは被災者の心を傷つけるとの配慮で避けるのが一般
 的であった。しかし現在になると少し状況が変わってきた。
 このまま復旧や復興が進んでいけばすべてが綺麗に片づけられ今回の惨状は忘
 れ去られてしまうという危惧が出てきた。
 これからはむしろ来て見てこの惨状を理解して欲しいという機運が出てきたとのこと。
 5月15日の日曜に私は亘理町と山元町を訪れてみることにした。
 平常日は多くの人たちが後かたずけ等の作業に励んでいてとても訪れることは出
 来ない。
 日曜日は作業も休むとのことなので5月15日に亘理、山元、岩沼の地を訪問した。
 やはり被災地の現状は大変であった。どこから手を付けたら良いのかまったく私に
 は判断がつかなかった。
 最初は仙台東部道路を南進して山元町から入った。浜吉田駅を目指して進んだが
 何回も通行止めに合いその度に方向転換しての訪問となった。
 浜吉田駅近くの常磐線はまったく開通の可能性は無く土地の方も困惑していた。
 線路の様子は次の写真である。

 
 線路上にはゴミや浮遊物が散乱している。架線も垂れ下がり全く開通する雰囲気は
 無い。
 

 人家も全く無くなり、海面下の土地が多く水も引かないままとなっている。


 大型トラックもこのような有様である。
 

 次に隣の亘理町へと移動をした。私がよく行っていた地が次の写真の地点である。
 ここは亘理の名勝地鳥の海への入り口であるがここで水門を設けて大潮等への対策を
 とっていた。しかしこの水門も全く機能を果たせなかったらしい。
 

 水門の周囲は液状化にでもなったのか基礎のコンクリートのみとなり土がまったく無くな
 っていた。

 この水門の傍には水の排出を調整するポンプ所があったのだが完全に建屋がはぎとら
 れた状態であった。津波の勢いがすごかったことが解る。

 この水門のすぐそばにあった民家もこの写真のように中が全く空洞になっていた。
 水流が強い勢いでこの家の中を通り過ぎたのであろう。
 でも家の外観と土台はしっかりしていたので何とか復元できればと願う。


 やはり被害がひどいのは川の河口近辺である。
 次の写真は亘理町の阿武隈川の河口の地域である。
 写真の右側が阿武隈川の堤防であるがこの堤防が何か所も破れていた。
 


 特に今回目に付いたのが塩害である。
 次の写真のように地域の竹で塩水を浴びた竹は全て黄色く枯れていた。
 また松も一部枯れてきており心配である。


 次は岩沼町のエリアに移動した。
 ここの海に近い所には見事な松林があったことを思い出しそちらに行って見た。
 ここもすさまじい廃墟と化していて何も無い状態になっていた。


 岩沼町と亘理町の間にこのようなマスコット人形が残っていた。
 ここは何かの商業エリアだったのだろう。てもこの人形を見ていると元気が湧く感がした。

 現在まだ次の写真のような規制があるので平日の通行は気を付けて行うことが大切で
 ある。くれぐれも土地の方たちの気持ちを損ねることがあってはならない。
 交通規制の看板も全くの手製であった。このような看板くらい警察や行政で用意してくれ
 ると地元の人も助かるのにと感じた。
 これから訪れる方は地域の方たちの気持ちに十分気を付けて訪問していただきたい。
 私は会った方とは出来るだけ話をした。すると相手も喜んで話してくれた。話が出来て
 喜んでいるようだった。
 また地域の商店から物を買うようにした。御蔭で大福まんじゅうやあんぴん餅を沢山買い
 過ぎ一日中腹が空かなかった。
 一日も早い被災地の復興を心から祈り被災地を後にした。


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