多勢家の洋館 歴史の生き証人に
平成27年4月12日の山形新聞に山形東涛会会員の多勢恵子さんのお宅の写真が掲載された。
多勢恵子さんの家系は山形県の製糸業で一代を成した多勢亀五郎をルーツにしている。
世界遺産となっている群馬県富岡の製糸場の地方版としての存在であったろうが日清・日露戦
争を背景に製糸業は最盛期を迎え、生糸で軍艦を造ったなどと称されるほどであった。
家業は隆盛を極め県内でもトップクラスの金満家であり、県内で最初に豪華な外国車を買ったのも
多勢家であった。
本拠地は現在の山形県南陽市漆山にあって広大な工場を有していた。
本家は金上(かねじょう)という名称であった。親戚も丸多、丸中、丸一という屋号で工場を経営していた。
多勢恵子さんのお宅は丸中で現在も機械工場を経営している。
多勢さんの母屋にこの往時の面影を残した洋館が現存している。
今回の山形新聞の記事はこの辺の現況を伝えたものであった。
さて肝心の洋館の中の様子であるがさすが新聞社である。
以前に私が取材に行った時は照明を遠慮して撮影したため満足なものでなく掲載出来ない
ものになってしまった。
しかし、記事の中の写真は十分の光を与えられ昔の栄華の雰囲気を伝えている。
多勢家の洋館の様子は別の記事として紹介したいと思っている。
とにかく山形にもこのような時代があったのだと認識しておくことは大切であると思う。
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