弔辞
                     東濤会会長 佐藤章夫     

      故鹿野道彦君の御霊に山形東高校第十回卒業生の会「東涛会」を代表して心から
 哀悼の誠を捧げます。
  「東濤会」は山形東高校第十回卒業の「十」を「とう」と読み替え、それに荒波を意味す
 る「怒濤」の「濤」を宛てたものです。
   私たちの卒業にあたって故武田 与三郎先生が「君たち これから社会に出て世の荒波に
 敢然と立ち向かって雄々しく生きるんだよ」と「十・とう」に「濤・なみ」の字を宛てることを提案し
 てくださったのが会の名前になりました。
  君はまさに社会の荒波に敢然と立ち向かい戦い続けてまいりました。
  私は訃報を受けて通夜の場に駆けつけお許しを得てあなたと面会しました。
  あなたはまことに穏やかなお顔で眠っていました。戦い終えた男の顔でした。
  私は胸が詰まって涙を禁じ得ませんでした。
  君が衆議院議員の選挙に出馬したのをきっかけに三井量光君の発案で君の政治を応援す
 る別組織として「道の会」が出来ました。「東濤会」が即「道の会」では不都合な会員もいるだ
 ろうから、と思ってのことでしたが、「道の会」会長の故鈴木正朗君、逸見誠司君の手腕もあっ
 て実質は一体でした。
  「道の会」の活動があって「東濤会」は活気に溢れた同期会になっていきました。
  選挙の時の応援活動はもちろんのこと、毎年正月に新年会を開き鹿野代議士から政治報告を
 してもらい些少の謝礼を差し上げていましたが、君は「こんなうれしいことはない、神棚にあげて
 拝んでいるよ」と言っていたのを思い出します。
  あなたの実直な人柄が偲ばれて私は今も覚えております。
  君は政界のホープとして若くして農林水産大臣で初入閣を果たした時、山形で盛大な祝賀会が
 ありました。私たちも鼻が高くて記念にと「東濤会」の名と校章を織り込んだおそろいのセーターを
 作りました。私は今でも愛用しております。これを着れば体は老体でも気分は青年になれるからです。
  鹿野君、あなたは押し寄せる怒濤に立ち向かって日本の国と国民を守るべく雄々しく果敢に戦い
 続けてまいりました。その姿は私たち「東濤会」の永遠の誇りです。
  ほんとうにご苦労様でした。どうそ安らかにお眠り下さい。
  三井量光君の弔句を添えてお別れのことばといたします。  
         弔句
       ひつじだの影を鎮むる夕日凪             
                                     合掌

                  令和三年十月二十六日   東濤会代表  佐藤 章夫

         編集者注 (ひつじだ(禾に魯の字) 俳句の季語 晩秋の意 田んぼを刈り取った後に
                出てくる青い芽が出そろった状態 のこと )

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