我がサッカー時代は75歳台に突入しました
高校時代からやってきたサッカーも今年はやれるのだろうかなどと考えながら
プレイする年齢になってしまった。
10月5日、6日の両日、宮城県松島町において「宮城県松島ロイヤルサッカー
大会」が開催された。
この大会は年齢が75歳チームと80歳チームの二つの分野で区分されている。
75歳から79歳は75チームに、原則80歳以上の人は80チームにと所属する。
今年から私は75チームに入ってサッカーをすることになった。
私の所属するチーム名は東北選抜チームと称し、山形県、秋田県、青森県の
選手で構成されている。
参加県は東北だけではない。
首都圏75チームA,B、関西連合、静岡スーパーロイヤル、埼玉シニア、宮城
フェニックス、東北連合、東北選抜、東海3県連合と多くの県からの参加である。
全員見かけは老人だが一旦走り出せば驚くほど俊敏だ。
年だからと諦観していてはだめだとつくづく思い知らされる。
さて、我々東北選抜のメンバー表をお見せする。
全員正真正銘75歳以上である。私が最年少(?)である。
このチームに入ると全く昔の高校時代の先輩後輩の関係と同じで私は
また、一年生の立場に戻ることになった。
試合前の全員写真である。20番が私だ。
さて、ここからが私の伝えたいことである。
たしかにこの大会に出てくる人たちは元気である。
他人は、お前たちは元気だからサッカーをしているのだろう。幸せだなと
突き放される時がある。そこが少し違う。全員五体満足かというと決してそう
ではないのだ。
グラウンドで一年ぶりに再会した方たちの会話を聞いているとそれが分かる。
お互いにどこを切った、何で入院をした、走れなかったがようやく走れるように
なっので来た、帰ると病院でどこどこを取るための手術が待っているなどの会
話が飛び交う。
私の知っている方も肺周りの大手術をしたと聞いていたのだが今回選手として
来ていた。
要するに体が万全だからサッカー選手でいるということではないのである。
みんな何らかの身体上の不調を克服しながらサッカーをやっている人たちなの
である。要するに不死鳥として舞い戻ってきた人たちなのだ。
宮城県のチーム名はそれを象徴してフェニックスである。
私はこの現状に勇気づけられているのだ。
この連中を見ているともし自分が健康を害しても必ず克服してサッカーに戻るぞ
という強い気持ちを持てるようになっている。
とにかく今年から私も75歳者のチームの一員になった。
若い時には70歳越えてサッカーをやるなどということは夢のまた夢であった。
その夢が実現しているのだからこの現実には深く感謝しなければならない。
これからも日一日一日を大切に頑張っていくぞという気持ちを強く持っていく。
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