詩集ゆきむかえより
虹のふもと
ゆうだちがあがり
おおきな虹がかかった
のの はてから
やまのうえまで
かすかにきこえるかねのおと
虹のふもとには
なにがある
こどもは
虹をおいかけ
そして みうしなう
虹のふもとにはなにがあるの
こどもたちの
ゆめがかくされているのさ
ひるねをしながらねこが
うすめをあけてつぶやいた
こどもたちの
とおいむかしのわすれもの
あめがあがるとそれぞれが
ゆらゆらと かげろい
おおぞらのなかで であう
うさぎはいった
むぎゅむぎゅとゆきがとけ
ぶなのえだからみずたまが
ぴん ぴこっ ぴん ぴこ
みきのまわりのくろいつち
みそさざいがさえずり
ゆきのあなから
りすやうさぎ
きつねやくまがかおをだす
虹は
いつも そこでうまれると
虹のはてがみえますか
とんびはこたえた
虹のきわみはみなみのうみにたっている
うしたちがみみをそばたて
なりわたるかぜのこと
くれなずむきんいろのうみ
たゆたゆと
しおがみちるなぎさで
こどもたちがいきをのみ
うみとそらをみつめている
かりはわたくしたちこそが虹だという
しぐれがちなやまぐにのあきのおわり
ひになんどもしぐれのあとに虹がたつ
かりのまいおりたおがわのほとりに
かりいれのおわったたんぼのなかに
氷にとざされたきたのうみやま
しゅんじにあらわれる花のたいりく
かりはかえるきたのふるさとへ
むしたちもつるやとなかいのむれも
虹になってうみをわたりそらをわたる
こどもはゆめをみた
虹のたきがえごの木にそそいでいる
しろい花はゆれている万のともしび
ゆたかなこかげで
虹いろのこうまたちがはねている
こびとたちが
いずみのみずをくんでいる
なんといういろだろう
そらやうみ
花やゆうやけのいろ
虹のふもとをたずねてみませんか
おばあちゃんやおじいちゃん
そのまたおじいさんやおばあさんが
こどものころ ひそかに
たいせつなものをうめたのです
虹のふもとにたってごらん
てんじょうのおんがくがきこえる
はるかなるそらのかなたで
きっと もうひとりのきみが
おなじおとをきいている
山帽子
淡色の葉裏を見せて風が渡り
ひときわ彩り輝く初夏の午後
遥々ときらめく夏の海原
全山の緑のなかに
ひとむら白い山帽子が咲いている
花の樹を尋ね 幹を巡り
見上げると
花は見えず
葉だけがきらきらと
五月の陽に揺れている
山の中では
朴 水木 泰山木 沙羅 白雲木
遥かな花にたどり着くと
あんなにも鮮やかな花が
こつ然と消えてしまう
山帽子は水木科の喬木である
花水木があえかな色に咲き
花の終わる五月のなかば
白い花が天に向かって咲く
樹冠に小さな白鷲が群れ
日暮れには葉陰のともしび
なまめかしい五月の夕べ
小 春
白い山茶花が晩秋の空に映えている
小春 インデアンサマー 貴婦人の夏
なんとよい響きだろう
雪国の子供は あわれ
小春日和という言葉を知らない
陰欝で雨がちな日々がつづき
ようやく訪れた明るい朝
跳ね起きた子供は窓に駆け寄る
山々に初雪が降ったのだ
学校では
少年たちが校庭の丘に登り
無言で 野の果ての月山と対峙する
空が光り
柿の実が赤い
小春はいいな
インデアンサマー 貴婦人の夏
ゆきむかえ
雪に覆われた吾妻
飯豊 朝日の連峰が
青磁色の空に浮かぶ
置賜盆地の晩秋の日
透明な光が一斉に空に舞う
雪迎えと呼ぶ蜘蛛の旅立ち
彼らは海原を一跳びして
北米大陸に渡るという
このあと
里にはきまって初雪が降り
盆地は深い雪に閉ざされる
黄金色の枯れ草の先から身を乗り出し
蜘蛛が空に向かって糸を吐く
晩秋の陽を浴びてゆらゆらと
蜘蛛が釣るのか
空が釣るのか
糸は秋空深くたれて行く
蜘蛛は跳ぶ 百尺の竿頭
彼らが何処へ去ったのか
本当はだれも知らない
駱駝によせて
彼女は西域を越えてやって来たのだ
碧眼の胡人たちと
アラビアの逞しい馬や財宝とともに
彼女は盛唐の貴人たちに寵愛され
長安の大路を 優美に音すらなく
憂いある眼差しで歩いていたのだ
大唐の崩壊の日 戦火の中で
彼女はまろやかな手と祈りに包まれ
鮮やかな炎の色をまとった
三彩の明器となって化身する
千数百の星が巡り
再び日の光の中に立った彼女は
砂漠の最も美しい子孫たちよりも
輝かしい生命をもった生き物として
雨がちな列島の風土の中で
少年の僕と対面する
今 彼女が何処に佇ずんでいるのか
僕はあまりにも遠く来たので知らない
砂漠の落日を夢見て微睡んでいるのか
李白の鳳のように
彼女もまた 王子晋に相見ることなく
天の霜の寒さに耐えているのだろうか