故東濤会会員高橋 康雄氏の業績記事見つかる
令和6年5月11日井上茂君がひょっこりと私にこの新聞記事をホームページの記事に
してはどうかと手渡してくれた。それが次のものである。
私は大変驚いた。写真に載っている弟さんは私の教え子である。
山形工業高校時代私が顧問をしていたサッカー部員でインナーの
ポジションで大活躍した人間だった。彼はその後一級建築士となり
地元蔵王地区で地区の中心となって活躍していたのでよく知っていた。
彼からは兄の事に関して良く話を聞いていたので出来る限り彼の業績
を東濤会の会員達に話をしていた。
その後に彼が亡くなったと聞き驚いたことを覚えている。
現在は山形東濤会ホームページで同期生たちの慶弔に関して掲載し
て皆が理解できるようになってはいるが山形東濤会ホームページが成立
したのが平成19年なのでこの時は誰にも語ることは無いままに終わって
しまった。
その後弟さんは自宅兼の設計事務所を開設しその地下室に兄の業績を
展示公開する部屋を作った。私はさっそく伺って康雄氏の素晴らしい業績を
再認識し惜しい人間を失ったのだということをあらためて知らされたことを
覚えている。
やはりこの時はまだホームページを開いていなかったので私の理解はそこで停止
してしまいその後のことは忘れてしまっていた。
それが今回井上君から提供された山形新聞の記事により当時のことが鮮明に
浮かんできた。
残念なことにこの弟さんも若くしてこの資料室を作った後間もなくして亡くなられ
たのだ。
現座この資料室がどうなっているかを確認に行かなければと思っている。
今回いただいた一枚の新聞記事は私には大きなインパクトを与えてくれた。
戻る