夏の山寺の光景です  令和8年6月29日

 6月29日の山形市の気温は30.6℃だった。いよいよ夏の季節の到来と
 なってきたようだ。
 私は今、山寺の名勝五大堂からの眺めを絵に描いているのだがどうしても建物の
 構成が不明の点が多々あり筆が止まっている。
 そのために山寺に登り建物の近くから全体構成を理解してみようと思い立ち
 山寺へと向かった。

  しかし現地に着き外に出てみたら暑い、暑い。とても登る意欲は無くなった。
 そこで考えた。対岸から見たら良いでないかと。
 山寺の町を挟んで南側にある地帯は馬形集落があり宮城県に抜ける二口峠が
 続いている。
 更にここにはバブルの時期には観覧車のある大遊園地や飲食店街が展開
 していた。ここの跡地を確認するのも良いと考え登ることはやめにした。
 さっそく現地からの光景を紹介しよう。
 道はこの仙山線を見ながら南側の地域に車で登る。道は良い。
 昔は大型バスが頻繁に昇り降りしていた。


 全体の位置関係は次の写真のようになる。
 この写真の後ろの方向へ登っていきます。


 さて対岸の地点から眺めた山寺の様子です。
 赤い樹木が見える地点の右側の先を登った先が奥の院です。
 さて、本来はここにきて建物を調べるつもりだったのです。
 でもこの暑さではねぇ。



 左端に五大堂が見えます。山寺観光の名所になっています。
 シーズンになるとここは人で溢れます。なお、ここの下部の様相は
 下界からは見えません。もしこの光景が目に入ったら尻込みして
 立ち入らない人もいるかもしれませんね。
 やはりこの暑さになると登っている人はまばらのようです。

 さてこの建造物は立石寺の開山30年後に建てられたと資料にあります。
 890年頃となります。
 現在の建物は1852年に改修されました。
 また右下の建物は開山堂です。
 なお望遠レンズでの撮影のためにコントラストがあまくなっているのは乞うご容赦。


 次の写真の真ん中にある小さなお堂は納経堂です。
 このお堂は山寺観光写真で一番有名な存在です。

 私は今この三者を1枚の絵の中にまとめようと苦心しているのです。
 それにしても芭蕉はこの堂の句を詠んでいません。
 芭蕉のような人物にとっては大きな大伽藍よりもこのようなひっそりとした
 さりげない建物の方を好むのでないかと思っていたので私にとって
 それが大きな謎です。



 以上のような結果で現地に登らなくとも何とか建物の位置関係等は
 理解できるかなと思っています。たまにはサボルことも良い事です。

 さて次には前述した昔賑わったこの地域の今の姿を紹介します。
 この周辺には県外の有名菓子店や土産屋さん、レストラン、休憩所等が
 軒を並べ、連日大型バスが乗り入れられ大勢の客で賑わいました。
 しかしバブル崩壊後は県外店は全て撤退して建物だけが残されまるで
 ゴーストタウンのようになり、そこが面白くて集まる人種も出てきて
 地域も困り結局地元のお金を相当つぎ込んで更地にしました。
 ここの左側の奥には大型観覧車が出来て一大遊園地となりました。
 また前に紹介した山寺の山腹を走った石の滑り台の復刻版として
 ここにもコンクリートの滑り台を復活させたりしました。
 それらの現状がこの写真なのです。



 次の写真は美術館の廃墟の姿です。
 ここには現代美術を中心とした後藤美術館がありました。
 今はこのような廃墟で今後が心配されています。

 ちなみにこの写真の左奥の山々が二口峠のある地域です。
 今も道はあり天気が澄んでいると道が見えます。現在は通行止めに
 なっています。
 この峠の下をトンネルで抜けると山形市と仙台市の間を最短時間で
 通り抜けられます。
 ここをトンネルで抜ける道を作ることを主張している人間が県知事に
 挑戦しているので私は応援しています。



 次の建物は山寺芭蕉記念館です。
 芭蕉だけではなく伝統芸能の発表会場や各種催し会場として使われて
 います。山形市の所有建物です。
 芭蕉に関してはここと尾花沢市の「奥の細道資料館」の2つで芭蕉の全てが
 分かると高く評されています。



さて、山寺に登ろうと出かけてみたが暑さに負けて下界からの山寺見学に
なってしまいましたがいかがだったでしょうか。

山寺にはまだまだ人が知らない所が多くあります。ただ多くが今では探検家
レベルの装備がないと行けないし、熊騒動で生きたくても行けない場所が
多くなり逆に保存という観点からは一安心という状態になっています。
これからまた皆さんにいろいろお知らせ出来るように頑張っていきます。


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