宮城県亘理町再訪の記 平成24年2月26日
前回訪れたのは平成23年8月27日であった。あの時も被災地の惨状を
報告し3.11からほとんど変化が無いことを伝えた。
年も変わり2月26日にもなったので日時ももまなく1年になろうとしている
のだから現地は相当復興しているのだろうと期待して訪れてみた。
しかしそこで見たものは3.11からほとんど復興が進んでいない姿であっ
た。
被災したホテルは再会は不可能でそのままであったが玄関前の瓦礫の
山だけは上から押し付けつぶしたため高さは低くなっていた。
でも傍に寄ってみると全くのゴミの山でまだ分別もなされていないために
とても手をだせるような状態ではなかった。
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港湾の漁業関係の建物は全て流失したのだか現在もその頃と変わっては
いなかった。岸壁だけがあるのみであった。
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公園の遊具もひしゃげたままであった。
震災前はここには沢山の子供たちが声を出してはしゃぎまわっていた所
だったのだが。

次の写真のはるか向こう側が仙台市である。
このあたりも何もないままである。
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もう一度亘理のホテルや民宿が多くあったエリアを振り返ったところです。
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さて以上見ていただいたように現地は何も復興していません。
この地も相変わらず仮設住宅が立ち並びそこに住んでいるわけだが
このままでは仮設ではなく終の棲家になってしまうのではないかと危惧
される状態だ。
あれだけ集まった義捐金を早くこのような地域の復興に役立てて欲しい。
バラ撒いているだけでは何も残らなくなる。使い方の議論も必要なのだが
一向に何も聞こえてこない。気ばかり焦る。
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