あの頃みんな若かった 山形東涛会文化祭の思い出  平成23年10月2日〜10日
                 
美術展の部
 

 会場入口には浦山君の書による看板が設置された。
 すべて自前でやれるのが東濤会の強みだ。



 書籍を発行した会員の展示コーナーです。
 沢山の本があるのに驚いたものだ。



 次のページの二枚目の写真は私がマイクロコンピュータ製作の本を書いた時のものだが
 100個以上ある小さなICを細い線を使って何百本もハンダづけしてからアセンブラ言語でプロ
 グラムを書き込んでやって動作させ、同時に書籍のための原稿を書くという生活を何カ月も
 続けたのだから若かったからやれたのだとつくづく思う。
 たった一行のアセンブラプログラムがどうしても動かず原稿を出版社に送れなくて猛烈に
 あせったことも懐かしい思い出だ。


 













 


















 最後の写真はM君渾身の作品鉄道ジオラマである。
 自分の夢の世界を再現しようとしている気持ちがこちらによく伝わってくる。


 改めて今回当時制作したこの紙の方のアルバムを見ながらホームページに
 掲載の作業をしている。
 東濤会のみんなは本当に若かったんだと感じさせられた。
 みんな生き生きしていた。
 
 私は美術の部と音楽の部とのダブルヘッダーだったので毎日が頭の中は
 この二つの事で一杯だった。
 今、このように回顧してみると当時ガムシャラに取り組んでくれた仲間も今は
 顔を見ることが出来なくなった人も何人か出てきている。
 加藤登紀子の歌「時には昔の話を」の歌詞とメロディーがなぜか私の心に
 浸み込んでくる。
 あぁ いつかこのアルバムを見ながらみんなで昔を懐かしく思うことにしたいよね。

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