多勢(旧姓 相澤)さんの邸宅 地域の文化財として紹介さる

 令和6年6月7月1日の山形新聞を朝いちばんに開いてビックリ 東濤会会員の
 多勢さん(旧姓 相澤 卒業時6組)の邸宅が新聞の紙面の6面トップ記事として
 掲載されていたのだった。

 私は南陽市宮内の住民となった多勢さんを訪ねて故鈴木正朗君と一緒に何回か訪問し
 たことを思い出した。あの時は昭和初期に隆盛だった宮内の繊維産業のリーダーとして
 活躍した当時の面影を残している多勢家の邸宅を山形東濤会会員に紹介するツアーを
 やれないかと考え二人で邸宅訪問をしたのだった。あの頃は山形東濤会のイベント計画で
 いろいろの事を正朗君と二人で模索していたものだった。

 その頃の状況を山形東濤会ホームページの平成27年4月12日の記事で紹介してある。

 では今回の山形新聞記事を紹介していく。ただ広い新聞紙面を狭いディスプレー上で見れる
 ようにするには無理がある。前もって見ずらいことはご容赦願いたい。
 私は何回か訪問しているが特に2階の窓から眺めた西の空に聳える山々が今も脳裏に
 残っている。
 結局正朗君も亡くなられ山形東濤会での多勢家邸宅訪問の計画は立ち消えになって
 しまった。何もかもが懐かしく思い出される。
 では次に山形新聞の記事を紹介していきます。








 この屋敷の中心的存在の洋館の内部です。昭和の初期にこのような部屋が
 存在していたとは驚きです。


 
 とにかく屋敷は広大な土地の中にあります。当時の工場がいかに大きい規模
 だったかが分かります。
 地図にあるおりはた駅の近くにある夕鶴の里は機を織っていた夕鶴の布を
 保存しているという寺も近くにある伝説伝承の地です。
 岩手県の遠野市のような存在です。多くの観光客が集まります。

 ただ多勢家は邸宅を一般公開はしていません。でも町の中には元日銀総裁
 結城豊太郎の資料館もあり、有名な熊野神社もあります。
 また謡曲などで有名な連理の松も近くにありますよ。
 花で有名な双松公園もあり、すぐ近くの赤湯には有名なラーメン店「龍上海」もあり
 とにかく退屈のしない町です。最近県外ナンバーが多くなり戸惑っています(龍上海は
 行列して待たねばならなくなってしまった)。
 私の目の黒いうちに(英語の後藤先生の口癖の as far as I liveを思い出します)東濤会
 会員の皆さんをお連れして多勢家
訪問を実現したいなぁと考えています。
 
  
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