1.鈴木恭子さんに関する記事
 昭和62年2月5日(木)の山形新聞の記事より

 

 恭子さんとは山形市立第五中学校で同級生だった。
 明るくて面白い話題を私たちに提供してくれる彼女は我々の
 人気者だった。少し我々とはズレているところが何ともなく愛
 らしく感じられたものだ。
 高校でも同級だったのでなお一層印象が強かった。
 その彼女がウルグァイに花嫁移住したと聞いた時は本当に
 驚いたのを覚えている。
 その彼女が20年振りに山形に里帰りした時の記事が地元誌の
 山形新聞に掲載されたのを私はスクラップしていたのだ。
 この時は中学校の同級生が集まって彼女を囲んで歓迎会をした。
 その時聞いた話に私たちは度肝を抜かれたり、あまりに奇妙奇
 天烈な話に腹の皮がよじれるほど大笑いしたのを覚えている。
 一番驚いたのは人間は食いだめ出来るという話だった。
 彼女の旦那さんは広大な農地を持ち多くの小作人を雇っている。
 月に一回使用人たちを呼んで食事会をする。その時に彼らが
 食べる量に鈴木嬢は驚いたのだという。
 とにかく彼らは食べるのだという。食べて食べて又食べて腹を
 パンパンにさせて帰っていく。人間がこれほど食べられるのかと
 最初彼女は驚いたとのことだった。
 しかし、その内情を知るとこの食べ放題の行動にも同情できたと
 言っていた。
 それはこの小作人たちは家に帰れば食べるものは乏しくこの後の
 一か月ははひもじい食事に甘んじざるをえないのだとのこと。
 その為に雇い主の家での大盤振る舞いの食事会はひたすら食
 べて食いだめをするのだということである。
 その様子を彼女はジェスチャー交じりに語るものだから我々は
 心から笑ったのを覚えている。
 
 今回、このスクラップ記事を見つけて読み、恭子ちゃんは今何して
 いるかなあと考え込んだりしている。
 元気でいて下さいね。



   
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