杉浦 文明氏への弔辞  令和2年6月20日

 故杉浦 文明氏への弔辞を東濤ネットの皆さんからいただいていますので
 ご紹介します。浪岡氏が取りまとめて下さっています。
 あたたかな弔辞 ありがとう御座いました。


杉浦文明氏の訃報連絡いただきました。
謹んで、心からお悔やみ申し上げます。
ご連絡ありがとうございました。
木村忠司


杉浦文明君が亡くなられた事、突然の訃報に接し大変驚いています。
ご冥福を祈るばかりです。
彼が高校時代、突然病により半身が不自由になり、斉生館に長期入院、
その後、自宅療養しながらも山形大学に入学し、司法書士資格もとる
努力家でした。その後自宅で司法書士事務所を開業するかたわら、
自ら車いすを引きながら、心身不自由者のための作業場(「大輪」)を自ら創り、社長として
社会貢献に励まれていた当時の杉浦君を思い出します。
またその後、小生が企業した際には、会社の定款作成などでお願いした
後、何回か馬見ヶ崎のご自宅に伺いましたが、この20年近く御無沙汰していました。
最近彼の事を思い出しながら、電話もせずにいた事を悔やむばかりです。
杉浦君には大変お世話になり、精神的な強さについても多くを学ばせていただきました。
ご冥福をお祈りいたします。   合掌
丸子勝基


杉浦文明さんの訃報のご連絡ありがとうございます。
一昨年山形へ帰った際にお会いした時は 透析で大変とのこと
でしたがお元気そうでした。本当に残念です。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
矢吹和巳

ふみあき君、長い間の素晴らしい友情をありがとう。少年の日、君とは毎日じつに多くのことを語り合いました。
発病の前夜も語り明かし、爽やかな新緑のなか見おくつた君の背中、17歳の春。
意識のない君の窓の下で、友人と3人で歌つた草原情歌。君の好きな歌でした。それから、済生館、
仙台北4番丁の東北大学病院、2年の間毎日君を見舞うのが日課でした。
紅葉の頃。裏さみしい鳴子のリハビリ施設に母君と送つてゆきました。会つた日も、会えない日も、毎日届いた君の
手紙はわたくしの宝です。パラリンピックにもお供しましたね。
君がおられたことがわたくしの支えでした。そのことによつて、わたくしの人生がどんなに豊かに深くなつたか、本当にありがとう。
腰にドウラン、草鞋掛けで、補虫網を翻しながら野山を駆け回つていたワイルドな少年、ぶんめい、あの少年に会えそうな気がします。
また、キツと会おうね。ご冥福を祈ります。しょうり
平賀勝利



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