南三陸町志津川を東涛会会員と共に訪れる
平成24年10月31日、11月1日
東涛会会員で関東地方に住むメンバー達から被災地訪問の希望があった。
仙台の笠原君が主になり私もお手伝いをする形で被災地訪問を実施した。
被災地には宿泊ホテルがある場所は限られる。
そこで今回は宿泊用のホテルがある南三陸町志津川町を訪れることとした。
ここのホテルは大きな被害が無かったので早期に営業が再開したのだが被災
者の受け入れや災害ボランティアの宿泊所として使用されたため一般の人間が
宿泊できるようになったのは最近である。
ここのホテルには被災地を巡るツアーバスの提供があるのでそれを利用した。
ホテルは断崖の上に立っているが建物は無事だったとのこと。
ただ2階までは海水が入ってきたとのことだがこの建物は海面から相当高い所に建っている
のだから津波の高さがすさまじいものだったことが分かる。
ホテルの窓から北の方を見ると志津川の町が見える。白いビルが見える方角です。
分かるとおり町は奥まった入江の奥にある。
この狭い地域に大量の海水が押し寄せたのだからたまったもんでなかったのだろう。
水位は入江の奥程高まったわけだ。これが大勢の犠牲者を出す要因となった。
被災地訪問ではこの地域を訪れます。
いよいよ被災地に入ると廃墟の姿が続く。前に来た時とそんなに変わっていない。
作業する人も何をしていいのか分からないような状況で我々をただ見つめていた。
周辺は次の写真の状況がどこまでも続く。
バスの外にはただ瓦礫の山が延々と続く。東涛会会員もただ声も無く見つめるばかりである。
これらを分別して廃棄処理をするとなるとあと一体どの位の時間が必要なのだろう。
ボランティアの数もめっきり減ったそうで本当にどうなるのやら。
南三陸町の災害を象徴する防災センターを慰問する。
ここには依然として多くの方が訪れている。
語り部が状況を説明してくれるが聞く方も語る方もつらいことが良く分かる。
語り部の方は勿論被災者であるので時折声を詰まらせる。我々は全員声も無し。
ただただ頭を垂れるのみである。
今回の被災地訪問には東涛会会員も最初は来て良いのかどうか迷っていたと語っていたが
来て見た結果来て良かった、惨状が良く分かった、テレビでは分からなかったが来てみて初
めて被災地の大変さが分かった。帰ったらこの悲惨な状況を外部に伝えると言ってくれたが
それが我々の出来る最初の事なのだろう。
一年過ぎてもこのような現状である。我々は避難者仮説住宅のエリアにも廻ったがこれで今
年冬を乗り切れるのかと本当に心配になった。
是非、来て、見て、語ってと被災地の方は言っていた。
東涛会会員6名の旅はこの後仙台駅に戻り、駅内の居酒屋で大いに語り合い(御蔭で私は
仙山線に乗り遅れそうになった)感想を述べあい再開を誓い分かれた。
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