今も現存 尿前(しとまえ)の関  平成23年9月8日

芭蕉と曾良が奥の細道を辿り山形県の尾花沢に向う途中でどうしても通らなければ
ならなかったのが宮城県鳴子町の西方にあるここ尿前の関所でした。
当時は国境の警護は厳しくて特に伊達領と最上領との間の行き来は特に厳し
かったようです。
そのために芭蕉一行もここでは厳しい対応を受けたようで曾良は特に日記にここを
通る時はしっかりと通行手形を用意しておけと助言をしているくらいです。
当地から山形の尾花沢までは道なき道と険阻な山間の地の連続でまっとうな道は
無く、当時は山賊も出たと言われている本当の苦難の道でここはその苦難の道の
第一歩でありました。
さて、ここ尿前の関が有名になったのはやはり芭蕉の句「蚤、虱 馬の尿する枕も
と」からでしょう。
芭蕉がこの句を詠んだので有名になったのではなく、それ以前に既にこの名称が
ありました。
義経記には義経一行がこの街道の新庄地区に至る途中にある瀬見温泉近くの亀割
山で生まれた亀若丸を伴い出羽街道(この道筋で現国道47号)を東へ進む記述がある
がここ尿前の地域には赤子が始めて尿をしたことで子の地名にしたという伝承がある
とのこと。
従って芭蕉の句は現実に自分が粗末な田舎家に泊められて枕元で馬が尿をするような
ビックリする出来事とここ尿前の関との両方を表した懸け言葉であったのでしょう。
ただ東北では馬は大変大切にされ家族と同じ扱いを受けていたのであって地域の人に
とっては何のことは無い日常の出来事だったのですが。
さて、それでは現在の尿前の関を訪ねる旅に出発しましょう。
山形から国道47号を東に進み県境を越え鳴子温泉がもう少しの地点に来ると道路左側
に尿前の関への指標が出てきます。そこは広い駐車場になっておりここに車を置き、急な
階段を下りていきます。写真の向こう側が山形側です。


 次の写真がその階段ですがこれは帰りの時の写真なので登りの様子になっています。


 現在は尿前の関を示す建造物はありません。一応関所があったことを示す門のみ
 新しく建てられていました。


 この門から入れば関所の中になりますが実際はこのエリアの下部にある部落の
 中を通りこの関所に写真の向こう側から手前の方へ入り吟味を受けたのでしょう。

 古い遺跡としては芭蕉の句の碑があり先程の蚤虱・・・・の句が刻まれております。


 近くには芭蕉翁の像も建っています。
 


 付近は鬱蒼とした木々に囲まれており朽ちたお堂もあります。当時もあまり今と変わりは
 無かったのではないでしょうか。

 

 以上尿前の関がどうなっているかと思い訪れたわけですが結局当時の建造物は一切
 無くなっておりました。しかし、尿前の関であった事実を後世の人たちに残すための
 環境造りがなされており十分に尿前の関の存在を確認出来ました。
 
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