サクのコタンで
夏の海
サクのコタンで 私は
神々に愛されていた
趾で桜貝を掘り
潜水して
海底の森や谷を探り
山と谷の流れを読む
貝殻に隠れた海栗
褐色の大きな海鼠
後ろに跳ぶほたて
獲物を抱えて顔を出す
岩畳の続くトコタンの磯
湖面の凍結が流氷を阻む
穏やかなキマネップやトップシの浜
岩という岩が日本海の荒波に削られ
壁面も海底も丸く磨かれた
シャコタン いろこの宮
私は魚たちの影と同化し
海の色に染まって泳いでいた
北国の夏の日は長い
たゆたゆと黄金色の海が満ちてくる夕凪
夕陽を追って泳ぐ
陽は遥かに北に傾き
空はオレンジ色に染まっている
私はそんなにも深く海に愛され
海を淫していた
秋
喨々と高い空
牧草の刈り入れが始まった
草を食む親馬の側で春駒が跳ねている
丘を登ると 黄金色の稜線と
黄金の葉がきらめく白樺の上に
紺青のオホーツクが盛り上がり
いまにも 大地をのみ込みそうだ
秋になると海が中空に競り上がる
あの海は透明で碧く黄金色にきらきらと
私を包みまといついた夏の海ではない
海は きっと
朝も夜も 高く広がる秋空を慕いつづけ
その思いが凝縮し あんなにも青く
あんなにも高く 空に引き寄せられるのだ
ワッカ
夏が終わるとオホーツクは突然哮り出す
十月 海と湖を分かつ砂嘴を渡る
海は何層もの荒波が猛り狂い
湖はぬめぬめと光っている
北国の秋は全てが透明だ
猛り立つ海と静かな湖を分かち
空と水を分かつ細い砂嘴は
地上で 最も天に近い
階の上で
朱色の浜梨の果が地に光り
ひとり 咲き遅れた大きな花が
つややかに天のなかで咲いている
鮭の歌
今年 標別に鮭が上がっているという
浜という浜にあふれた金色の鰊が去り
川を褐色に埋めた鮭も もうこない
最果ての浜に満ちていた男たちの姿が消え
積丹の鰊御殿が
がらんどうになって久しい
標別に鮭が上がるという
根室から国後を望んで北上し 谷地を巡ると
頭上に不気味な影を落して大鷲が旋回する
突き付けられた喉元のあいくち
歯舞色丹のロシア兵の姿がよみがえる
北国の秋の日が陰り 空も海も鉛色になった
河口の浜には 褐色の
おびただしい海草が打ち寄せられ
川も昆布の色に染まっている
北国の秋のおわり 貧寒とした泥炭色の川
岸に群れている人々も 寂として声がない
流れを凝視すると
灰褐色の波の一つ一つが
犇めきあい のたうつ大きな魚であった
海流を越えた長い旅
万川のうちただ一つ 生まれた川を目前に
河口で阻まれ 打ち上げられるものがいる
さいわい 産土の川に入ったものも
唸りを上げ犇めきあい 鱗を剥落させ
ボロボロになって 母の胎内に入り
産卵と射精の後 命を閉じるのだ
しかし
標別は 河口から百メートル溯って谷地に消え
ここに 産卵すべき川床はない
生涯をかけた旅の末に たどり着いた
幻のふるさとの川
冬の訪れ
朝はいつも澄み切った冬の空
昼には海から雲が押し寄せて空を覆い
午後 陽はきまって原生林の上で凍結する
最果てのこの地では 日没がないのに日が暮れる
海は 鉛色に眠っている
星の降る夜に会った
碧い眸が光る北狐は
いま どうしているのだろう
ゆうべ 雪の峠に閉じ込められ
たしかに
碧い瞳が燃える冬将軍の娘に会ったのだ
ぬけるような空が広がる雪の朝
鉛色の海は
果てしなく白い野になった
冬のコタンで
夕刻 極点で生まれた風が
ひょうひょうと
スバルのほとりを渡っている
天も地も皓々
遥かに 凍結した海原の果てが見える
遠く流氷の音がする
北極に連なる雪原と星座
私は零下三十度の
星明りの中空に立っている
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室