青春時代の想い出 盃山の今

                                      平成22年2月24日

 私たちの若かった高校時代を振り返った時に最も想い出が強いのは馬見ヶ崎川と盃山の
 姿であろう。
 しかし時も50年を過ぎれば想い出の中のイメージと現状は大きく異なるのが当たり前である。
 今回はその盃山の"今"をご紹介したいと思う。
 当時盃山(標高256.1m)に登るには馬見ヶ崎川の北西側に山頂の神社参詣用の細い道があり高校の
 運動部の練習等ではこの道を上り下りしたはずである。
 もう一方の盃山の南東側は馬見ヶ崎川に沿って東の笹谷峠方面へ行き途中から川の
 中の細い板橋を渡り盃山へ登る道があった。 こちらの道は主に南高生が使用していた。
 現在は盃山の西端はバイパス工事で削られてしまい登ることが不便になってしまった。
 従って今はこの南東側の道が一般的になっている。
 次の写真がその様子で山の左側はもっと川の近くまで伸びていたのだが切断したり切通しに
 されたりして昔の面影はなくなっている。


 今は盃山の南側すなわち馬見ヶ崎川に面する地域は山形市の経営するスポーツ施設ジャバが
 出来て市民の健康作りの場となっている。大変良い場所である。この辺は我々の高校生時代は
 何も無い荒地の寂しい場所であったが今はとても健康的なエリアとなり親しまれている。
 さて上の写真の右側が上流でここを少し上ると立派な永久橋が見えてくる。この橋を渡るとジャバの
 施設内に入り大きな公園になっている。

 この公園の北端から盃山に入ることになる。
 次の写真がその盃山に登る登山道の入り口である。
 この道が立派に舗装されているのがお分かりでしょうが何故完全に舗装されているのでしょうか。

 この道を登っていくと次の看板が出てくる。
 要するにこの宗教施設に行く道を兼ねているので完全舗装がされているわけである。

 
 しばらく登ると右手のうっそうとした林の中に神社が見えてくる。
 これが私たちが昔拝んだ愛宕神社の本殿である。
 ここをお参りするために多くの人がここに来たのでした。社殿は昔よりは立派になっている。


 愛宕神社を右に見て元の道をまた登るとすぐに次の写真の宗教施設が現れる。


 盃山の陰にこのような宗教施設があるとは山形市民の多くは見たこともないし知らない。


 その施設側から見た蔵王連峰の眺めです。


 さてこの宗教施設がある一帯は私たちの高校生時代はスキー場になっていました。
 山頂からこの施設のあるところを滑り更に今登ってきた登山道を滑り川原の近くまで一気に
 滑り降りるのが私の小学生、中学生時代の楽しみでした。
 さすが高校生になってからは滑らなかったなあ。
 ただ当時のスキーにはエッジが付いていなかったのでとても不安定で必ず途中でコースを
 大きくはずれもんどりうって転倒したものでした。とても怖かったという思いが一杯です。
 今回もそのスキーコースを見ましたが次の写真のように一面杉の林になっておりとてもスキ
 ーなど出来る環境ではなかった。
 でもこんな話をしても誰にも本当かなと信じてもらえないのが普通です。
 次の写真がそのスキー場跡です。

 山頂に着くと多くの市民の方々が登っていました。山頂の神社にお参りに来たのでしょう。
 どこから来たのですかと問うと半分位が仙台からの人でした。
 私が"去年の今頃は雪が一杯で登れませんでした。運が良かったですね"と言うと
 そうですかと喜んでいました。
 それにしても2月のこの時期でこの天気とは本当に天気が狂ってきているのでしょう。

山頂からの眺めです。山形工業高校の建物が見えるのでその左側一帯が東高の校地に
なります。



 以上が現在の盃山の姿です。
 以前よりは山東側からは登りにくくなっていますが今も市民の山としてとても慕われている姿は
 変わりありません。
 当地に来たときは登ってみて下さい。青春時代の思い出を得られるかもしれません。

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