山形市にある不思議な様相のお寺
取材 令和8年2月18日
山形市十日町にある明善寺というお寺に参詣すると建物の正面に立つと
あれっ! どこかで見たたたずまいだなぁと思うはずです。
それは東京築地の本願寺本堂です。
実はここ明善寺は築地本願寺の習作建造物のような立場なのです。
設計者はどちらも日本建築界の鬼才、いや奇才と言われる
伊東忠太(1867.11.21生まれ)です。米沢生まれで異国情緒あふれる
建物を多く建てた建築家として有名です。
築地の本願寺はインド風のたたずまいをしていて実際にそこを
訪れると何とも言えない異国の中に居る気持ちにさせられますよね。
さて、次の写真がこの寺への導入路です。奥まってるのでこの建物の特異性が
目に入らず気に留める人が少ないのが現実です。
実際表通りからはかなり入った所に位置しています。

正面に見えてくる特異な国籍不明のような小塔がこの寺を特徴づけています。

ここがこの寺の正面です。どこか築地の本願寺本堂のたたずまいに
似ていると感じませんか。

どこかインドの仏塔に似ていると私は感じます。

建物を特異に見せているのがこの建物です。日本のお寺では見られない

ちなみに本家の築地本願寺の全景を示します。
やはり各建物の配置は習作の設計を基にしているのでしょうね。
この建物を見て「モスクみたい」とか「宮殿みたい」と言われることが
多いそうです。実は古代インド仏教建築をモチーフにして構成したので
そうです。
私もここを何回か訪れましたが何時も日本にいる気がしなかった
ものです。更にここではパイフオルガンの生演奏もしているので
なおさら日本の寺に居るのだという気がしなくなるのでしょうね。

以前に唐津に行った時に感じたことがありました。
唐津は歴史のある古い町のために古い建築が大切にしてあります。
旧唐津銀行はじめ特異な(本当に変わった建物が多かった)建物が
多くありそれぞれに詳細な解説がついているのですがそこで特に
目についたのが伊東忠太の建築作品が高く評価されていたことでした。
それは伊東忠太が恩師辰野金吾の一番弟子だったことも関係するのでしょう。
辰野金吾は唐津出身の日本の代表的建築家です。日本銀行本店、東京駅、
奈良ホテル等々の建築に携わった日本を代表する建築家です。当然に
辰野金吾の進んだ道には必ず伊東忠太の足跡も残っていたのです。
伊東忠太は日本の建築界の近代化を進めた人間です。英語のarchitectureを
「建築」と訳すように提唱したのも彼です。
とにかく彼はアジア各地を旅して研究した古代仏教建築の要素を取り
入れて設計していたので出来た建物は国籍不明と評されたそうです。
この築地本願寺はその典型例です。
さて、山形市の明善寺は寛永7年(1630年)に創建されています。
その後明治27年の山形大火で焼失、再建を目指して昭和2年に設計を
伊東忠太博士に依頼、昭和5年に建造が開始され、昭和9年に本堂が
完成です。
一方の築地本願寺は元和3年(1617年)に創建。その後も何回か火災で
焼失。大正12年(1923年)の関東大震災でまたまた焼失。再建を目指して
設計を伊東忠太博士に依頼して建造が始まりました。
現在の姿の本堂が完成したのは昭和9年(1934年)です。
建造年は両方とも同じ昭和9年なのですが明善寺の方が設計開始は早い
ようで明善寺の設計を下敷きにして築地の本願寺を発展建造したものと類推
されています。
さて、伊藤忠太の妖怪好きは有名で建物のあちこちに小さな妖怪の像を
なにげなく置いて置くことが好きだったようです。
今度行ったらそのような像があるかどうか探してみようかなと思っています。
実は昔、古い東京駅見学時にその妖怪像が柱の高い所の片隅に座っていて
案内人に教えてもらった記憶があるのですが現在の東京駅には無いとのことです。
さて、山形市の明善寺周辺の地図と寺が発行しているパンフレットを示します。


ぜひ山形市に来た時にはここ明善寺を訪れてみて下さい。
自由に境内に入れますし駐車場も完備しています。
七日町周辺の喧騒な環境からここに来るとホッとする気持ちになれます。
命の洗濯に丁度良いですよ。
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