戦国武将加藤清正公の墓所を訪ねる 令和7年8月28日
戦国武将の加藤清正公墓所はここ鶴岡市櫛引町丸岡にあります。
元横綱柏戸関の生誕地が近い地です。
この地は西に聳えている金峯山(きんぽうさん)という霊山の麓に位置しています。
1611年に加藤清正が急死すると幕府は待ってましたとばかりに清正一族を
難攻不落の熊本城との関係を断ち切る処断をします。そのいきさつは諸説
ありますのでそちらに任せて話を勧めます。
この時息子忠広は十歳。家督の相続は認められたが山形の庄内藩お預けという
酷な扱いとなりました。忠広は父の墓を整理して全てをここ丸岡の陣屋に持ち帰り
ここに改めて埋葬したと伝えられています。
私は令和7年8月28日に清正公の墓所を訪ねてみました。
丸岡城の一部は天澤寺(てんたくじ)に隣接した形で残っています。
写真は残っている堀の一部です。この時はシロサギが出迎えてくれました。

この寺は後述する金峯山の里における対応窓口のような存在です。地域の人々から大切に
されてきた様子がよくわかります。

丸岡城の案内図がありました。

清正公の墓所です。この辺り一帯は以前に綿密な発掘調査がなされています。
その時に取り出された発掘品の一部がここに展示されています。
ここは清正公が身に着けた鎧、虎の像などが展示されているお堂です

堂の中には清正公がつけていたと思われる鎧が展示されています。

下の写真の右端の山が金峯山(標高471m)。この山の山頂までは数多くのお堂や社殿があります。
明治の廃仏毀釈までは数多くの信者たちが行列を作って参詣したとのこと。
この山は標高は高くはないのですが山全体が深山幽谷の状態で多くの巨木が屹立しており
その下を歩くと爽やかな空気を満喫できます。

山全体は下のパンフレットの説明図をご覧ください。Iの中の宮までは車道が通じています。
ただ道は狭いので注意が必要です。

清正公のお墓をお参りしての帰り道の途中の果樹園にはラフランスが
たわわに実っていました。もうすぐ秋ですねぇ。
最後に山形市から月山超えのルートで鶴岡に向かった時の道路マップを
つけておきます。

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