新しい山形城(霞が城)の姿が新聞の記事として表れてきました。
令和4年3月20日の記事より
昭和47年に全国高校生体育大会のインターハイが山形県で開催された。
その時まで山形城の城跡はスポーツ公園として場内がいろいろのスポーツの
施設で埋まっていた。
私は県サッカー協会の仕事をしていたので施設内にあるサッカー場で各種大会の
運営を担当していた。
インターハイも無事成功の内に終了できホッとしていたら突然、ここを発掘調査の場と
するから出ていきなさいと言われ行先も無いまま追い出された。
何を発掘するのかと聞く昔の山形城の姿を復元するためだと言われた。それは
県民の為になるのだろうから我々の不便は我慢しようということで競技場放浪の旅に
出たのだった。
しかし、その後は発掘は遅々として進まず細々と数少ない人間が作業している姿を
みるのみであった。あれから何年たったのか。ほぼ半世紀が経過した令和4年3月20日の
日曜日の新聞に発掘が終わった後の鳥観図が掲載されていた。これまで述べた
ような事情で私は興味を持って記事の写真を見つめた。
皆さんにそのレイアウト図を紹介する。
将来いつか出来上がる予定の本丸屋敷の構成は次図のようになる。
しかし、それにしてもこの図の施設が出来上がるのが令和33年度だと? 何を言うねん、
我はもう80だぞぅ。半世紀待ってこれかぁ。
図を見るとただ塀と門が出来るだけでないか。とても山形城などと言えるものではない。
本丸の中の屋敷なんぞ何時出来るか分からない。もっと早く出来んかい。
私の年を考えると宇宙旅行に出かけることに匹敵する感覚だ。
半世紀待ってこれだけかぁ。しゃあんめい。山形は貧乏でしかも地味だ。
とにかく現状を一応東濤会の皆さんに紹介をします。
時たま帰省した時は場内を散策してみてください。お堀の周囲の桜は天下一品ですので。
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