あの神町駅はどうなっているか

                                         平成30年4月17日

 私たちが高校に通学していた頃は蒸気機関車が客車を引っ張っ
 ていた時代だ。
 奥羽本線は列車が頻繁に走り、特に貨物列車が長い貨車を連
 ねて走っているのが何故か記憶に残っている。
 今は貨物列車は一本も走っていない。
 当時は神町という町の名は山形県民にとって独特の印象を与えた。
 飛行場があったために戦後はアメリカの進駐軍が駐留し多くのア
 メリカ人が住んだために独特の文化の香りのする町だった。
 戦後はGHQ進駐軍の兵隊たちの駐屯地としてこの町は必然的に
 垢ぬけした新しい開けた町であった。映画館が確か2館 あった
 気がする。
  戦前は海軍航空基地として、戦後は米軍キャンプ地として町の
 基盤が成り立っていた。
 このような事情から神町駅はなんとなくアメリカンで他の町の駅舎
 とは明らかに違っていた。
 最初に建築されたのは明治34年というから歴史は古い。
 戦後はこの駅舎を進駐軍が改築して駅の中に連合軍鉄道運輸司令
 事務所が置かれたがある意味で治外法権の地域なので当時(私が
 小学生時代 ある理由があるのだが)は何となく怖い場所として
 記憶している。

 さて、このような素晴らしい歴史のある駅舎も平成18年についに
 無人化となり平成30年2月23日に新しい駅舎として生まれ変わっ
 た。
 GHQ時代を反映するローマ字による駅名標は残したとのこと。
 戦後は前述した理由で大規模な駅構内構造だったのだがその
 名残の一部は残っていると聞く。

 平成30年(2018年)4月17日にその新しい駅舎に行ってみた。
 以前の駅舎からみると相当に縮小化されている。
 必要最小限の構成となっていた。
 ただ駅前は明るく変貌していた。以前の何となく寂しい感じはなくなり
 広々とした開放的な駅前になっていた。
 その様子を紹介する。


 以前の駅舎の数分の一になってしまった。


 当時の時代を反映する駅名標は残っていた。
 事情を知らない現代人には単なるデザイン上でこのような名標に
 なったのだと思うでしょうが実際は違うのですね。



 北の秋田方面です。


 南の山形方面です。


 以上が新しい神町駅についてのレポートです。
 古い駅舎の写真を撮っておかなかったことが新しい駅舎を見て痛切に
 反省事項として残りました。

 
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