被災地石巻・亘理現状報告 平成23年8月27日
これまで亘理・山元地区の被災地の状況を何回か掲載しましたがその後の
状況はどうなっているか気になり8月27日に現地を訪問してみました。
この日は快晴でけっこう暑い天候でした。
最初は東松島の半島天王崎を目指し訪れてみましたがこちらは島々に囲
まれた湾内ということでほとんど津波の被害はなく地震の爪痕だけがあり
ました。
しかし、道路はほとんど盛り上がり段差が付いている状況でそろりそろりと
走行をしました。
次に一度県道27号に戻り次に奥松島と野蒜海岸を訪れましたが状況は
悲惨で津波による破壊はすさまじい状況でした。
特に奥松島の入り口にある簡保の宿松島の周辺はひどい。周囲に家が一軒
も無くなり広大な原野となり背よりも高い草に覆われていた。
次の写真の簡保の宿松島と体育館は今は廃墟になっている。
そこに行くにはこの雑草のジャングルを通り抜けていかなければならない。
ズボンに茨やトゲがからみつくので私は途中であきらめ戻ってしまった。
一昨年来た時は次の写真の地域は密集した住宅街で私は朝の散歩から
帰る時に道に迷い宿に帰れなくなった位に家が立て込んでいた。
このことを考えると現実のあまりの変容に言葉も出なかった。とにかく何に
も無い。
この暑い天候の下、ボランティアや警察関係者が捜索や片づけのために
働いている姿が印象的でした。
石巻市の各所を訪問して改めて被害の大きさと肝心の復旧はほとんど進んで
いないことに気が付く。
市内に入ると町の中には津波に侵された痕跡があちこちに残っていた。
次の写真は幼稚園である。子供たちは全員無事に避難できたのだろうか。
岸壁の漁業関係の施設はほとんど被災していた。
とりあえず名所日和山公園に昇り山の上から被災の状況を見てみることにし
た。
頂上の広場では復興を景気づけるための奉納太鼓が奏されていた。
頂上から見ると被災の状況が一目で分かる。
津波が私の居るこの日和山の真下まで来たことが分かる。
家が密集していた地域が全くの更地になっているのが良く判る。
また破壊された住宅等の瓦礫を集める集積所も遠望できた。
特に印象的なのはこの瓦礫を捨てる場所へ向かう自動車の群れである。
何しろ瓦礫の廃棄所が絶対的に少ないのだ。
あまりのダンプカーの多さにすさまじい渋滞となっている。
炎天下に渋滞で停まりっぱなしの状況では働く人の負担は相当に大きいと感じる。
石の森章太郎記念館は一階には水が入ったが2階以上は何とか助かった。
それにしても被災した船とのツーショットとは石の森氏もびっくりだろう。
さて現在はただ町中から瓦礫が無くなった状態だが人が住んで生活出来る状況に
はほど遠いことが認識出来た。
交通信号機も電気が通じず現在もほとんどが警官による手信号による交通整理で
あった。炎天下での交通整理、警察官の苦労に頭が下がる。
次に今度は石巻を後にして南にひたすら走り宮城県南部の亘理町を訪れた。
亘理町は漁業の町で漁港と市場が岸壁に並んでいた。そして周辺は屋並みが
揃い温泉のあるホテルや美味しい魚料理を食べさせてくれる店が並んだ楽しい
地域であったがここも全くの更地であった。とにかく家が一軒もない平地となっ
ていた。
ホテルだけが残っていたがここも3階まで津波が来たとのこと。
ホテルの営業再会は無いとのこと。
ここの岸壁の南には鳥の海と呼ばれる小さな島があり野鳥の天国となっていた。
そして更に南側の地域はいちご狩りで有名な農場が広大にひろがっていた。
ここも訪れたが全くの更地で何にも無かった。見事に原野に戻っていた。
次の写真の土地は広大なイチゴ園で大勢の人がイチゴ狩りに来ていたのだが。
鳴き砂で有名な吉田浜には何キロにもわたって長い津波のための防潮堤が
あったのだがここも完全に破壊されてしまっていた。
この状況が次の写真である。
ちなみに海は画面の左側である。見えている水面は防潮堤の内側なのです。
内側の土地が地盤低下して海面より低くなってしまったため海水が逃げる場所が
無くなりこのように何時までも淀んでいる状況となっている。
田圃もこのように海水が残ったままである。とにかく何にも対策は行われていない。
政府は対応が進んでいると言っているが現実は何も変わっていないことが現地に
来て見ると良く分かる。
やはり外から来て見てもう一度外に訴えてあげなければ被災者は救われない。
以前報告をしていた亘理の松林の中の私のランニングコースがどうなっているか
知りたくて来て見たのだが木々の倒木で進めない状況であった。
冬場の私のトレーニング場がついに無くなってしまった。
以上被災地の現地を訪れて見たこと感じたことを報告したが結論は
何も変わっていないということである。
町だけは瓦礫が取り除かれたので元の綺麗さは取り戻しつつある。
しかし生活面から見れば復旧には程遠い。何しろ生活が出来る状態ではない。
人々はじっと耐えているだけであった。
食堂で会った人と話したが考えてもどうしようもないのでただ倒れないように前
を向いて歩くだけと語っていたのが印象的であった。
被災地の知り合いに言われた。「早く来て見て現実を外に訴えてくれ」と。
私たちはじっとしてテレビを見るだけで何もせずにただ「可哀そうだ」と語ってい
るだけでは何も解決しない。
私の写真から何かを感じ取っていただければ幸いであります。
戻る