第三回新銅町いきいきクラブ文化祭の紹介
いきいきクラブとは東涛会会員が会長をしている山形市宮町・銅町地域の
高齢者の集まりです。
要するに老人クラプですが名称だけでも若くしようということでこの名称に
しています。
期間は令和8年1月23日〜25日(日)まで。会場は町内の集会場です。
この集会場は町内会が自前で所有しているものです。
何しろこの地域には戦後、鋳物関係の町工場がひしめいていて民家よりも
工場の方が多いと言われた地域で豊かな町でした。そんなわけで町内会
の軍資金は潤沢で建物を自前で建てられたわけです。
今では考えられないような時代背景です。
そのようなわけで我々町民はこの建物を気楽に使える環境になっています。
他の町区の住民からはうらやましがられています。
22日に関係者の後期高齢者が集まって会場の設営を始めました。
飛び交う声は 脚立には上がるな、物を持って急回転するな、高い所の作
業は若いのにまかせろ等々の老人同士の声です。もっとも若い者といっても
70歳以上ですが。
寒河江市、左沢あたりは大昔は海の底。そこから孫がホタテ貝の化石を収集した
収集品を爺ちゃんが出品してくれた。

龍の髭はなんと竹ぼうきの古竹。使い古したものが一番良いとのこと。作者の本業は
燃料店経営。

丸い器は瓢箪を加工。花びらはアイスキャンデーの木のバーを乾燥加工して
それを切り抜き加工した。

続き紙文字の作品。すべては小さく折りたたんだ紙の小さなブロックが延々と連なり
一つの大きな文字になっている。現物を見ると驚きと感動が生じる。

細工は小刀一本とのこと。敢えて別の工具は使わないのだそうだ
古い着物をばらして生地をつくることから始まる。
丁度良い模様の生地を細工して全体がふっくらと軟らかな感じを
得られるようにすることがコツとのこと。
絵画の部もある。この作者は県展にも毎年入選している。
高齢者だが気持ちを強くして生きている。普段はもっと大きな50号を
描いているが今回は敢えてこの大きさで出品してもらった。
この作者は毎回仏像の木彫を出品してくれている。現職の時は建設会社
勤務だった。
このため木に関しての関心が高くなりいつの間にか木彫りが大好きに
なっていたのだそうだ。
一体を作るだけでも1年の時間がかかるとのこと。
前回はこの仏像の3倍の高さの仏像を出品してくれた。


次は板金業の爺ちゃんです。私の一つ上の先輩。手製の蒸気機関車とレールを軽トラに積
み込み県内各地のイベントでボランティアに励んでいた方だ。何が一番大変かと聞いたら
レールの管理と保守だそうだ。サボるとすぐに錆びてしまうし置く場所の確保が大変とのこと。
ついに近年子供たちから邪魔になると言われてレールを廃棄してしまった。従って今回は
昔のイベントでの写真の提供をお願いした。
この写真では電気機関車にした機関車で子供たちを楽しませていた。
このような写真を多数出品してくれた。見た人の心を和ませてくれていた。

この写真の撮影者も現役の時は建設業勤務だった。
重いフィルムカメラを担いで東北各地を走り回っていた。
この写真ははるか北秋田の秘境に近い所に行って撮影したものだそうだ。

この人間は大谷翔平君のグッズ等の収集にのめり込んでいる。
今回は使用可能な大谷の切手を多数出してくれたのだが盗難されないかと
気を使ってしまった。

次は私たちの町の運営で最も自慢が出来るコーナーです。
この担当者は私の町で行われた行事に関して全て写真に撮り、DVDに保存
記録する。
そして行事の都度このような広報紙を発行して町民に知らせている。
ここの担当者は富士フィルム関連会社のエンジニアだったので快く仕事を
してくれている。私が彼を見つけ出し任命させてもらったのだがその結果は生
き生きと活動してくれているので彼にとっても良かったかなと思っている。
とにかく考えてみれば老人クラブというものは多岐にわたった分野に対応
出来る人間の人材センターなのだ。活用しないともったいない。

ここからは私が出品したコーナーです。私は地域の防災をテーマにした内容の
展示物を出した。
地域の災害が起こるかもしれない場所を立体的なモデルで表現し、人が理解し
やすい実例提示となるように心がけた。
そのために日本国土地理院提供の地理データを使用して3Dプリンタで出力造
形をした。
しかし1モデルを出力するのに9時間から15時間程かかるので大変だった。

実例として蔵王山のモデルでお釜が良く分かることを狙った。
次の爆発はこのお釜の下方との予知もあるが地形から見るとそのことが理解できる。
手前が宮城県側。お釜の下方の地帯は深い峡谷になっている。
ここにロープウェイを通せば箱根の大涌谷のようになるんだがな。

次は我が町のエリアに関する防災データである。
私の町のエリアは奥羽本線の鉄路と馬見ヶ崎川の堤防で囲まれた三角形の
地帯である。頂点から下が我が町のリアエです。
川はこの図では下から上へ流れています。
三角形の広い地域と三角形の頂点になっている地域との標高差は
50メートル以上もある。当然下部の方の標高値は高い。
ちなみに下部の標高値は180メートル、下の頂点域の標高値は110メートル
前後。 三角形の頂点から下が我が町のエリアである。
従って若し大雨が続くとなると緑町や旅籠町あたりに降った雨は全て我々の
町のエリアに集中して流れ集まってくる。その水は溜まり、町全体がプールに
なることになる。
現実にそのようなことの小さな現象がが今まで起きていた。
今回このモデルを使って参観者に説明するとなるほどと理解してくれた。
やはり紙だけの表現ではピンと来なかったとの感想が述べられ。
とにかく近年の不安定な天候について住民の関心が高いことが分かる。

次のモデルも市内の北部地域で、高瀬川、野呂川、馬見ヶ崎川の3っの川が
合流する地点の様子をモデル化したものだ。参観者からこの地域の危険性が
良く分かったと言ってもらえた。
この近辺の住民の東濤会会員の桜井君は町内会会長をしていたときは大雨となると
いつも非常待機態勢におかれて大変だったと言っていた。

次は余興として提示した東京都の青ヶ島のモデルである。
このような地域に600人も住んでいると語ると驚いていた。

次は佐渡島のモデルである。見た人は島の大部分が山になっていて
平地がほとんど無いことを知り驚いていた。
やはりこのようなことも立体的な表現でないと理解できないものだ。

次からは私の出品コーナーです。
下手だが他の出品者への呼び水としての役割として敢えて出品をしている。
最初の絵は山寺の光景です。題名は 「山寺寸景 二口峠への道」 としました。
左下にある断崖の上の小さな赤いお堂が山寺では有名なシンボルとなっている
納経堂です。
題名の二口峠への道は昔、自覚大師が伊達領へ入る時に通った道のことで
画面の左側にかすかに細く見える山に入っていく道がそれです。
又仙山線の線路が横切っていますがこの画面の左方向が面白山トンネルと
なります。
また、絵の左のお堂は開山堂、右の堂は五大堂です。ここからの眺めが山寺観光の
ビューポイントになっています。
ただそこに行く道は少し脇道に入る目立たない所にあるので目の前にある
奥の院の方へ目が行き真っすぐ前進して通り過ぎる人が多いのが気になる。
この絵を背景に慈覚大師や磐司磐三郎兄弟や部族抗争の話の時に使う補助
材料として使うために描きたくて全体をまとめました。

次は山形県の北 最上の地、鮭川村を高台から望む景色を表現してみました。
ここ鮭川に来ると本当に心が和やかになれるのです。私の大事な癒しのポイント
です。
ここに来た時は晴れた日でしたが日光が強烈な一条の光の束となって降りそそいだので
その情景を描いたものです。
さて、ここの私が立っている地の後ろ下方には山形県有数の湿原である米湿原(よねしつ
げん)があります。しかし3年前の大雨で大量の土砂が流入して埋まってしまい湿原と
して戻るには何十年もかかるといわれており本当に残念に思っています。
この絵の正面はるか向こうは真室川の町へと連なります。
ここら一帯は 「きのこ帝国」として地域おこしをしています。

次は私の町内にある時計屋さんをテーマにして描いてみました。
ここの建物は地肌が赤っぽいのですがそれが更に夕日で赤さが更に増した
様子が面白くて描いてみました。
やはり見る人にとって見知っている景色だと興味が湧くようで結構茶飲み
話の話題になっていました。

次に出版の部として私が以前に東京の技術評論社から出版したマイコン
製作の本を出品しておきました。
この当時は中央のマイコン雑誌のライターをしていました。若かったなぁ。
今、改めて中を見るとよくぞこんな精密な内容を書くことが出来たものだと
感心してしまいます。中の配線図を見ましたがもうICのピンや配線パターン
などはもう拡大鏡なしでは見えなくて判別できませんでした。
ましてや自分が書いたマシン語プログラムも流れが全然追っかけられません。
すべてが霧の彼方の景色のようでした。
改めて若さというものの偉大さを知らされました。
24日の午後に三井量光(幸太郎)氏が応援に駆けつけてくれた。
熱心に見ていただき批評を頂いた。こんな小さな文化祭にも関わらず
わざわざ来てくれたことにただただ感謝である。
自分の作品の前でのスナップです。

以上が今回開催した私たち老人クラブ主催の文化祭の紹介です。
今回この文化祭をした目的は単に自分たちの作品を紹介しあうこと
だけが目的なのではなく、これら作品を見ながら地域のお年寄りたちが
菓子を食べたり、お茶を飲んだりしながら人間交流していただくことを
大きな目的にしています。
今回はそのために展示コーナーの一隅を交流コーナーにしてお茶や
コーヒーを用意していたら席が足りないくらいの盛況となり年寄りたちの
楽しい交流の場になった。我々の目標は達成できたなと思いました。
最後に私たちの文化祭を紹介してくれた新聞記事を付けて終わりとします。
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