石巻市の現状を確認のための訪問
平成24年2月21日
新聞・テレビでは被災地が相当に復興しているとの報道がなされている。
しかし私に聞こえてくるのはそのようなことではなく、いよいよ生活に困る
現状になってきたということばかりである。
これまでは何とか気持ちを強くして頑張ってきたのだが一向に明るい光が
見えないために精神面でくじけそうになっているとのことだ。
平成24年2月21日山形東濤会の有志で実際に石巻に行き現状を認識し
改めて復興のお手伝いの方向を見つけようと考え山形を出発した。
石巻市の海岸にある防波堤に沿った地域から訪れた。
大きな工場は煙突から煙が立ち操業していることが分かったが資本力の
小さな小さな工場は破壊されたままの姿である。
このエリアから北側は住宅がびっしりと並んでいた地域であるが現在も
震災時のままである。その現状を見て声も出なかった。
このエリアは前述したとおり背後は海である。
そうすると津波から逃げるには次の写真の背後の方の山まで逃げな
ければならない。三人ともこりゃたどり着けないと自覚した。
ちなみに背後の山は石巻の名勝地日和山である。
山頂の場所には芭蕉と曾良の憎斉藤茂吉の歌碑などが数多くある。
ここからの眺めは素晴らしく石巻港や北上川流域の光景が一望出来
るところなのだが震災時には多くの市民がここに逃げ込み声も無く眼
下の惨状を見つめるばかりであったという。
この山の手前に学校が見えたので行ってみた。
ここで見たのはすさまじい津波の破壊力である。内外部全部が破壊
されている。もちろん復旧は無理だ。
お昼に食事をしようとして街中を探したがどこも一階は破壊されたまま
で食堂が無い。私が前に何回も訪れていた美味い魚料理をだす寿司屋
食堂は土台のみとなっていた。
ようやく石巻駅前にある全国チェーンの居酒屋兼食堂の店に入り魚料理
の昼食を食べることが出来た。
全国チェーンだから営業できたのだろうが地元資本の小規模な店は再開
が困難なのだと思った。
なお、仙台からの仙石線は不通で矢本と石巻間のみの運転で結局は仙台
に行くにはバスでの代行運転に頼ることとなる現状である。
また女川方面は不通で全線でバス代行運転であった。
石巻駅前で写真を地元の若者に頼んで撮ってもらった。声をかけると喜んで
応じてくれた。明るい若者だった。
帰路は海沿いの国道45線を南下して奥松島地域を探訪した。
奥松島の入り口の野蒜地域は今回大変な被害を受けた地域であるが
前回訪れた時の光景と変わりなかった。完全にこのホテルは廃墟だ。
周辺にある学校やユースホステルも廃墟のままだった。
このホテルの向こう側は住宅の密集地であったが今は何もない原野と
なっている。あれだけの人はどこへ行ったのだろうか。
今回の訪問で分かったことは被災地は一部を除き何も復興していない
ということである。
我々は何回も現地を訪れ、その悲惨なままの現状を訴えて元に戻って
いるのだなどという誤った理解が広まらないように伝えていかなければ
ならないと強く考えた。
戻る