前田慶次と平賀君の繋がり
平賀君の生家は米沢市の真東に位置する万世町堂森地区と聞いている。
実はこの地区には善光寺というお寺がありここがあの戦国時代のお騒がせ
男で有名な前田慶次の菩提寺になっている。
平賀君の先祖は米沢上杉家の家臣であったので平賀君は子供の頃に慶次の
逸話を良く聞かされていたと私に教えてくれたことがありました。
慶次は自分の本家である前田利家一族から出奔して諸国を歩き最後は
上杉家に落ち着き関ヶ原の戦いでは西軍の雄となって活躍しました。
上杉家の直江兼続とは深い友人関係であったといいます。
晩年の慶次はここ堂の森に暮らし、満月の晩にはここ善光寺の小高い裏山の
上にある小さな広場で村人たちと一緒に月見の宴を開いて楽しんでいたそうです。
私もここに登ってみましたが本当に月見をするには絶好の場所でした。
この頃のことを舞台にした話がNHKでドラマとなりました(主演は藤竜也)。
ドラマの最後に彼が石田三成の遺児を匿うことを決意する展開には私も
驚いたことを覚えています。
さて、その前田慶次について米沢には多くの資料があり見ることが出来ます。
そのような流れは今も続いて折り次の資料のように現在も発掘作業は
続いています。一度是非善光寺の月見の山に登ってみて下さい。
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