久しぶりの長谷堂城址訪問
                               令和2年3月9日(月)
 今年の冬は雪が無く、一番つらいはずの2月もほとんど積雪が無かった。
 3月9日は朝から好天気で春のような気候になった。
 このような時は歌の文句にもあるように厚いコートは脱ぎ棄てて外に
 出なければならない。私はどこに行こうかと思ったのだが何故か急に
 山形東濤会が企画して長谷堂城址を訪れた時のことが思い出された。
 よし又登ってみよう。でも前回とは違った処から登ろうと決め出発した。
 以前に地元の遠藤彰君に聞いていた阿弥陀堂の所から登ることにした。
 大手門口の登り口には広い駐車場があり傍には子供も遊べる公園がある。


 この公園の正面には前回山形東濤会で登った登り口がある。
 私が登ったのはここから南に100メートルほどズレた所からだ。


 次の写真が長谷堂城址の全景である。


 少し登ると阿弥陀堂が見えてきた。
 私はここの左側の道を登った。

 
 この植物は当時、兵が登りにくくするために植えたものだそうでツルツルして引っ掛かりが
 無いので夜陰に紛れての行動はしにくかったと思う。


 標識は至る所にあり迷う心配は無い。
 

 ようやく頂上の広場が見えてきた。


 城跡は結構広い。


 山形県百名山の碑が立っていた。健康維持のために登るには本当に良い山だと思う。


 東の方に山形市が一望できる。関ケ原の時ここでももう一つの関ケ原の合戦が
 あったわけだが北方に陣した相手の上杉陣の直江兼続が山形城を見ようとしても霞がかかり
 城の全容が見れなくて山形城を霞のような城だと語ったことが今の霞城公園の名になっている
 との話も理解できる気がする。


 前回の山形東濤会会員登山の時にはこの一帯が発掘と整備をしていた所だが
 現在は立派な曲輪の様子を見せている。


 降りるときは観音口に降りた。
 途中には建物が多く楽しんで下山できた。


 観音堂が見えてきた。


 本堂と鐘撞堂もある。
 

 次は長谷堂城址の解説図だ。
 何か所にも詳細な資料があり楽しんで登山が出来る。
 山形東濤会の皆さん、また登ってみてはどうですか。


 私も久しぶりの訪問登山であったが登りながら平成22年の時の登山当時の
 仲間の若々しい(?)顔が浮かんでは消えた。
 みんな若かったなぁ。

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