生まれ変わった旧双葉小学校
                             令和7年12月24日記述

 旧山形市立双葉小学校の今について語っていきます。
 学校の名称は山形市立双葉小学校でしたというのは平成24年3月に
 山を下った門伝地区にある西山形小学校に統合されて双葉小学校その
 ものは消滅したからです。しかし、校舎の建物は少しも古さを感じさせな
 いままで存在しています。
 元の双葉小学校は 山形市大字門伝字荻の窪2836番地。昭和30年に
 創立されました。
 卒業生徒数は666人。最終年度は生徒数7人でした。
 現在は地域交流拠点やドローンキャンパスとして国家資格対応学校として
 活動を広めています。

 山形市民からこの学校は西の山のシンボルと見られていました。
 と言いますのはこの学校は山形市の西側の山の中腹に凛として屹立して
 いるので朝日はもちろん夕暮れにも光が反射してキラキラと輝く姿は神々
 しくさえ見えたからです。
 地域の中心的存在であった学校が閉校となるということは本当に寂しい
 ことです。
 このようなケースが山形県内至る所で見られるという事は日本が凋落して
 いることを証明しているわけで本当に寂しい事実です。
 令和6年に私の町の老人クラブと双葉地区の住民との交流会が生じました。
 その交流会の様子を紹介しながら双葉小学校の今を伝えていきたいと思います。

  双葉小学校までの地図を示します。



 山形市西部の門伝地区から県道17号線通称狐越え街道を西に進むと下の写真のような
 建物が見えてくる。これが双葉小学校である。
 この正面の窓の部分が山形市を一望に見下ろせる展望ホールになっている。
 地域の人たちは夏に山形市で行われる大花火大会の光景をここで眺めながら
 ビールを楽しむとのこと。私も一度は参加してみたい。
  次の写真の正面部が遥か下界の山形市から輝いて見えるのです。
 私にとっては別世界の城のように感じられました。
 


 校舎はこの写真のようにガッシリと頑丈な姿で存在しています。
 グランドは広くて山形市内の学校から見ればうらやましい限りです。
 

 丁度次の写真の三階右端が山形市を見下ろすビューポイントになります。


 正面玄関です。子供たちもこの玄関から校舎に入りました。
 右端がすぐに切り立った崖になっています。眺めを遮るものは何もありません。

 
 見晴らしポイントからは次の写真のように山形市が眼下に見渡せます。

 ここ双葉地区は昭和50年頃までは林業中心で製材工場や材木市場等の関連
 職種に多数の人が携わりイキイキした賑やかな地域でした。
 この地区を上の方に行くと峠に当たるところに名所「畑谷の大沼」があり
 夏はボート水遊びや登山、冬はワカサギ釣りやスケート等で大変賑やかな地域
 でしたが木材自由化が実施されると急速に地域の衰退が進みました。
 
 


 学校の南側にはプールもありました。ここで子供たちがキャッキャッと大騒ぎして楽しんで
 いる姿が目に浮かびます。



 教室です。複式学級だったので広い教室が必要だったのです。
 1年生と2年生、3年生と4年生、5年生と6年生がペアになって一つの教室で
 学んだので教える先生方も大変だったと思います。その代わりに人間関係が
 密で楽しかったと地域の方達は語っておられました。



 さて、いよいよ我々がお世話になる蕎麦打ち教室です。
 全て地元の方達が準備してくれました。何しろ新蕎麦ですから期待感が大でした。
 道具と具材の計量が確実なので全員無事蕎麦打ちが完了出来ました。
 そば切り包丁がしっかりしているとそば切りが確実になることを教わりました。
 私が持っている安い蕎麦包丁ではダメだと分かりました。



 次の写真で前列が地域の名人たち。後ろ側が私のいる山形市宮町の老人クラフの面々

 前列一番手前の方はマタギです。山の生き字引のような方でした。熊の解体や食肉への
 処理等を全て自身て行います。



さて蕎麦打ち会の流れは最初に地域の先生方の指導で蕎麦打ちをします。
その後に地域の先生方が打った蕎麦で昼食会をします。
(自分が打った蕎麦は持ち帰りとなります。その量は三人分はあります。)

食事をしながらお互いの地域に関する話題で情報交換をしました。
双葉地区の皆さんからは過疎化と離農、獣害の話題が中心でありました。
熊、猪、かもしか、猿等による獣害がいかに深刻かがわかりました。

私の方からの提供話題は空き家の増加問題、免許証返納、外国人労働者の
増加、古い町並みの存在等に関することです。
お互いに悩みを持ちながらの会話ですのでお互い共感できることが多く有意義な
食事会になりました。
次回は私の地域での交流会の実施を約束して散会しました。

このように山間地域と町場の年寄りたちが語り合うことはお互いが孤立して
いないのだという強い安心感を互いが感じることが出来る有意義な
会であったと思います。誰も評価してくれませんが今後もこのような会を
大切にしていきます。


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