山形東濤会会員老人クラブ大会で演奏を

 令和元年10月31日に山形市の老人クラブ連合会の大会があり
 功労者表彰や諸事のあとに芸能大会が開かれた。
 踊り、三味線、カラオケ、剣舞、大黒舞等の多くの芸能が披露された。
 出場した数は30団体であった。
 いずれも昔取った杵柄の類で芸はしっかりし群舞などはタイミングはピタリで
 見事だった。
 その中に混じり山形東濤会会員が率いるグループが演奏を披露した。
 伝統物が多い出し物の中では異色の存在で結構良い声援を受けた。
 演奏内容は沖縄では今や第二の民謡となっている"芭蕉布"を歌った。
 リードボーカルには私の教え子でいろいろのキャンペーンで歌っている
 セミプロの人間を当て演奏の成功を期していた。
 しかし、実はこの日は大きな心の衝撃を感じながらの演奏となってしまっ
 た。
 それは朝、テレビから沖縄の首里城が大炎上のニュースが流れてきた
 からだ。もう声も無くテレビの画面を見ていたことを覚えている。
 何しろこれから演奏するのが首里のお城のことを歌った唄なのだから。
 私の妻もボーカルの相方として歌うことになっていたから二人してただただ
 声も無くテレビを見つめているばかりだった。
 でも、何とか気を取り直して演奏会に臨んだ。
 メンバーはリードボーカルが67歳で一番若くそれ以外は私と同じ高齢者ばかりだ。
 でも意気は若い。永遠の青年を気取っている者たちばかりだ。
 大きなホールで演奏すると気持ちが良い。魂がふっとんでいく高揚感にひたれる。
    

 ボーカルには彼がテレビのキャンペーン時に着る衣装を着させた。
 これが意外に好評だった。


 ギターは私の昔の同僚だ。長い付き合いだ。
 私も大分姿勢が悪くなったなあ。この次には気を付けよう。


 私のバンドの名はイベント毎にいろいろの名前を使い分ける。
 この日のバンド名は"宮12区町内会バンド"として出場した。
 メンバーはいずれも昔は職場で大活躍した連中ばかりだ。
 在職中はガムシャラに働いたが退職後はそれぞれ各自の好きなことを
 楽しくやりたいということで集まっている。
 今回の老人クラブの大会で分かったがとにかく参加者は元気だという
 ことだった。
 元気だから出れるのか、活動してきたから元気になっているのかは
 分からないが名前なんか求めずに何かに夢中になっていくことは悪いこ
 とでは無いのだろうと思う。
 主催者から来年のこの大会でも出場してくれと依頼されたので何とか
 頑張って来年又この舞台に立とうと仲間同士で声を掛け合った。

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