稀書紹介

 私の読書は乱読である。多くの分野の本を手当たり次第に読むタイプである。
 ノンフィクションから趣味、伝奇、専門、推理小説、経済情報・・・切りが無い。
 従って本棚には多くの本が溜まってしまった。よく見ると今となっては稀書とな
 った本が少なからずあった。
 特に書評等で稀書と指定されたものが少しある。
 しかし、考えてみるともったいないことをした本が今となってみると多くあったこ
 とを思い知らされている。
 何年間かに一度は満杯になった書棚を開けるためにくずやに売り払うのが常
 であったが近年の書本状況を見てみると「しまった!売るんでなかった」と言
 わざるを得ない本が多くあった。
 しかし、悔やんでも取り返しはつかない。ただ残念に思うだけである。
 さて、そんな中で、私の所に運良く残っていた稀書について紹介をしてみる。
 ただし、売る気持ちはありませんのでご容赦を!

14 歌集 白き山   著者 齋藤茂吉
               発行 昭和24年8月15日 定価320円 
 私の亡き父は
歌人齋藤茂吉に傾倒し多くの短歌を詠み地元の組織か
 らは結構多くの賞を戴いていた。
 そのために亡くなった後の遺品には多くの歌作成の資料が残された。
 あまりの膨大さに整理は遅々として進まずもう何年も経過している。
 ある日書棚を見るとこの「白き山」があった。
 「えっ」と思い本の奥付を見ると第一刷りの書であった。
 しかも巻末には茂吉自身による後記が添えられていた。
 この後記を読んでみるとこれが面白い。
 茂吉の短歌はアララギ派ということでどちらかというとゴツゴツと
 した感が強く牧水のような流れとはあきらかに違う。
 当然文章自体も読みにくいのかなと思って読んでみるとそうではな
 く柔らかな文体であった。
 表現は簡潔にして全てを語るという感がする。
 彼が世話になった各所のことを思い出として綴っているがその地域
 の人への感謝の気持ちが何気なく表現されている。
 肝心の歌集はやはり私にはゴツゴツ感が感じられ親しみにくいがこ
 の後記を読んで改めて茂吉が好きになった。
 なお定価が320円であるから当時の物価換算では相当に高価な本だっ
 た。一般庶民では絶対に買えない金額だ。








 
 13 下町ロケット  著者 池井戸 潤
                                         初版 第一刷 
                                       平成23年7月17日記す 

 本書は平成22年の12月頃に本屋にフラリと入り書棚を見ていた時に何となく惹かれて
 購入をした。何かの書評で面白いコメントを受けていたのを覚えていたのだったか定かで
 はないが。
 読んでいくと一気にページが進む。現在の物づくりに伴う困難さや大企業からの妨害等を
 打ち破りながら下町工場の力でロケットが飛びあがるまでをまるでアクション映画のような
 構成とテンポで展開していく。 読んでいてスカッとする小説であった。定価1700円が安く
 感じられた本であった。
 さて、話はここからである。
 今この記事を書いているのは平成23年7月17日である。購入は前年の12月である。
 実はこの一年間に大変大きな出来事が起こったのである。
 それはこの本が平成23年度の第145回芥川、直木賞選考会で直木賞作品に決定したの
 である。
 自分が読んだ本が直木賞受賞ということは自分の本の選択が当たっていたということの証
 明になるわけで何か自分を誉めたくなった。
 参考に直木賞に関する山形新聞平成23年7月15日の記事を紹介しておく。

  

 12 青い鳥   マアテルリンク作 楠山正雄訳
                
               平成22年5月29日記す

  私も小さい頃は童話を良く読んだ。その中でも青い鳥の童話は自分でも読んだが、学校でも
先生が語ってくれたものだ。そのような訳でこの童話には関心があった。そして自分の家の父の
蔵書の中にこの題名の本があったので読んだことがあった。
  ところが字は小さく漢字だらけで更に発音が学校で聞いた言葉と大きく異なっており童話で
知った「青い鳥」とあまりに差がありすぎて失望したことを強く覚えている。
  特に著者名はメーテルリンクと学校では習ったがこの本にはクンリルテアマとなっており最初
は同名の別の本だと思った位であった。
  しかも本文は童話の本で読んだ形式とは違っていて何か劇の台本のような書式であったため
  どうにもなじめなかった。
  そのような訳で何度かその本を読もうとしたが結局は深く読まないままに何十年の月日が経って
しまった。
  三年ほど前に本棚を整理していたらこの本が奥の方から汚れた状態で出てきた。
  私にとっては大変懐かしくしばらく本を眺めていた。そして今度は読むぞとの気持ちになり読み
始めた。
  分かったことはこの「青い鳥」というものは童話の本で読んだような絵本のイメージではなく
て戯曲の名前であるということであった。そのために本は台本の形式で書かれていたのだ。
  読んでくれた先生はこの台本を読む形で幼い私たちに語ってくれたのだろう。
  読んでみるとこれは高齢者になってからの人間にはひしひしと語りかけてくるものを感じる。
  劇中で語られる言葉がわが身に染みるのである。
  特にチルチルとミチルが過去の国に行き、おじいさん、おばあさんに再会して語り合う場面など
は本当に年をとったものでないと分からないだろう。
  そのような訳でこの年になってからこの本に再会できたのは幸運であったと感じている。
  さて、次からの写真により何十年振りに再会した本を紹介してみる。
 本の外観である。大分くたびれてしまった外装となってしまった。


 奥付の部分である。製本も壊れている。残念。


 この章だてを見ると第12景まであるのがわかる。これを6幕で演ずるわけである。


 この辺は漢字が少ない部分で読めるが大部分は漢字が多く読みにくい。


 本の最終部分は広告になっている。ヨーロッパのことを泰西と呼んだ懐かしい文字
が見える。


 発行は大正11年で2年間で十版を出したのだからベストセラーだったのだろう。

 以上が私の懐かしい本との出会いの紹介です。
 一気に小学生に戻った気分になったものでした。


11 剣岳・点の記 はかりびとブームを創った
  
著者 新田 次郎    平成21年7月記載
 
平成21年は映画「おくりびと」が米国アカデミー賞を受賞したために
 主な撮影舞台となった山形県はおおいに盛り上がった。
 特に庄内地方は藤沢周平文学の映画化でも主撮影地となっておりこの
 映画
「おくりびと」により映画撮影地としての地位を確立したといえる
 状態になっている。
 しかし6月頃になると新たに
「はかりびと」という新しいジャンルが人
 の口にのぼるようになってきた。
 これは新田次郎原作の「剣岳・点の記」が映画化されたためである。
 明治39年、日本地図完成をめざす日本陸軍参謀本部陸地測量部が
 宗教上から登ってはならない山として存在していた剣岳の測量登山に
 挑む物語である。
 特にこの測量隊を率いた人物柴崎芳太郎は山形県大石田出身の人間で
 あったために山形県でこの映画を見たいと思っていた人間は結構多く
 いたはずである。
 私はさっそく映画を見に映画館に駆けつけた。
 映画は大自然の雄大な光景と厳しい吹雪の冬山での行動を私たちに
 見せてくれる。
 あの当時にはナイロンなんかがあるわけがないし、現在のような特殊
 軽量合金の登山装備や防寒具があるわけがなかったのだから実情は
 映画以上に厳しかったことであろう。
 ただただ日本陸軍の名誉のためだけという圧力を背景に測量のため
 に登らざるを得ない立場に追い込まれて行く流れを分かりやすく示
 してくれた。
 この測量に命をかける人間の姿をうけて
「はかりびと」という新しい
 言葉が話題になってきたのであろう。
 さて、映画を見終わってから、私は以前にこの本を買っていたことを
 思い出した。
 さっそく私の書庫(押し入れの中)を探してみた。ありました。一番奥
 にしっかり積まれてありました。
 その本が今回紹介するものです。奥付を見てみると昭和52年8月
 30日発行の第一刷の本でした。
 定価が980円でした。本の価格は案外上がっていなかったのたと
 分かります(昔は本は貴重品だったものなあ)。
 それにしても32年経った本が良く残っていたなと感心するとともに
 この本が再び脚光を浴びることとなったわけで稀書の部類に入ると
 考え紹介することとしました。
 



 奥付も見てください。本当に昭和52年になっていますね。



 ついでに映画のパンフレットも紹介しておきます。
 いい映画でしたよ。



平成21年7月30日の山形新聞に次のような記事が載りました。
なんとこの映画の主人公 柴崎芳太郎が生まれ故郷の山形県大石田町で郷土の偉人と
して顕彰されることになりました。

これもこの映画のおかげであります。
やはり映画は素晴らしい。人の心を大きく打つものがあると改めて感心しました。



 続きがあります。
 上記の記事の結果が出ました。
 平成21年8月2日に無事剣岳山頂に登ることが出来ました。
 詳細は次の山形新聞の記事をお読み下さい。






10 フェルマーの最終定理
      著者 サイモン・シン 翻訳者 青木 薫
     
平成18年6月18日発行 定価781円 新潮文庫

 多くの人はこの「フェルマーの定理」という言葉を聞くと若いときの好奇心に燃えていたあの頃を
思い出すのではないだろうか。
 私も例外ではない。中学時代に先生からこの話を聞き、「なんだ簡単ではないか。なぜみんな
出来ないのか」などと意気がり挑戦して挫折したことを思い出す。
 ても、この挑戦のお陰で数学の面白さにふれることが出来、それ以後極端な数学嫌いになら
ないで済んだのだと思う。
 ある意味で私の人生上の恩人である。
 ぜひ、今の子ども達にもこの定理の裏話や歴史を教えることは数学教育上大きな意味があるの
ではないだろうか。
 さて本論に入る。
 本の外観は次の写真の通りである。
 著者は名前から分かるとおりインド系のイギリス人です。1967年にイギリスで生まれましたが
祖父母がインド人でインドからの移民でした。
 それにしても数学の世界でのインド人の活躍は有名ですが出版の世界まで進出してくるとは
素晴らしいですね。
 丁度世界的に「ダビンチ・コード」が話題となりヨーロッパの中世における未知の部分に対する
探求のムードもこの本の売れ行きにプラスしたかなと思っても見た。



 さて次からがこれも今回の本論です。
 何と翻訳者が山形県出身者なのです。
 私はこの本を読んで驚いたのは文体のなめらかな語りでした。
 普通は数学系の本などというとゴツゴツとした文体と分かりにくい理論
 一点ばりの内容でした。
 所がこの本は違います。とにかく円滑に読み進められるのです。
 これは翻訳者も数学者であるために何が難解なのかが分かっているの
 ですね。
 日常的言葉である「それどころか、だから、つまり、というわけだ」などと
 いう表現が多く使われ一般の小説を読むのと同じ感覚で読み進められる。
 だからこそ日本で17万部も売れたのであろう。
 しかし、数学関係の書で17万部とは信じられないのが普通であろう。
 これはフェルマーの定理という永遠の謎をテーマにしたこともあるだろうが
 それよりも翻訳者の表現力の素晴らしさによる部分が私は非常に大きい
 と思う。

 ある日(平成19年7月12日)新聞を見て驚いた。
 青木 薫さんの顔が大きく載っているではないか。
 日本数学会の出版賞をいただいとの報である。
 私はやっぱりという気持ちであった。数学の世界もようやく気がついてくれ
 たかという気持ちだった。
 そして又私が抱いたこの本は素晴らしいという判断が正しかったということ
 の証明でもある。
 その意味で嬉しかった。
 次が山形新聞平成19年7月12日朝刊の記事である。





 しかしこのような本が17万部も売れる日本という国はまだまだ大丈夫という気がする。
 改めて心がホッとしたニュースである。

 以上のように発行された本とそれを作った人との関係が社会の話題になったという
ことで稀書と言って良いと思う。

 

1 神州纐纈城  
       著者 国枝 史郎  昭和43年発行 発行所 桃源社
                定価 680円(当時)
                初刊 大正14年雑誌「苦楽」に連載の形で掲載された。


   著者の国枝 史郎は最近また、名前を聞くようになった伝奇作家です。
   書名は 「しんしゅうこうけつじょう」です。
   現在のホラー物や半村 良のような人外魔境的な分野の書の書評の時に必ず引き合いに
   出されるのが国枝であります。
   しかし、名前は出されるが肝心の本を見たことのある人は非常に少なく「幻の書」などと
   呼ばれています。私はこの本を持っているのですね。
   私がこの本を入手した昭和43年頃でさえもこの本は「ついに幻の本発刊さる」とタイトルが
   付いたことを覚えていますので現在ではなおさら幻であるはずです。
   ある関係者に聞いたら「欲しい人は何十万でも出すでしょう」と語っていました。
   また、ある事情により、この本は今後絶対に出版されません。ますます希少価値となっていく
  はずです。

   さて、前置きはここまでにして簡単に内容を解説します。

   纐纈とは人間の血で染めた赤い布のことを言います。宇治拾遺集の中にも出てくる怪談であります。
   山奥のある城の中には何人もの人間が天井から芋虫のようにつり下げられ、体の一部から血を抜き
  取られ、その血は下に垂れ落ちいて何条もの筋となって部屋を埋めている。この城を纐纈城という。
   城内にはさらに大きな水車が回っていて、その動力で人間を搾り、最後の一滴の血液まで吸い取って
  しまう。
   そしてその血で白い布を染める。色は深紅の輝きを持ち、神秘の力を発揮する。
   この纐纈布を巡り沢山の奇談が展開するというのが概要であります。
   
   この纐纈という話は中国が原点のようです。大変におどろおどろした不気味な伝説です。
   

   写真で示しますので良くご覧下さい。


   


  

 国枝は明治21年に長野県諏訪郡宮川村字茅野で生まれた。ここは八ヶ嶽への登山口として
知られている所であり、このような山間で幼少時代に育ったことがその後の彼の神秘と伝説に彩られた
独自の文学を創り上げたのであろう。この神州纐纈城の主な舞台は昔の緑に囲まれた人跡もまれであ
った富士山麓と本栖湖周辺である。
 おどろおどろした不気味さと人外魔境的自然描写がからみあい、何ともいえない
国枝文学を形作っているがこれが逆に科学的環境に置かれ息が詰まっている現代人には新鮮な見たこ
とのない世界が展開してくる心地にさせてくれるのではないだろうか。

 私も35年振りに再読してみて夢中になってしまった。
 とにかくスケールのでかい自然描写と想像も出来ない仮想空間をあの時代に創り上げていたということ
驚嘆に値すると思う。
 この本は大切に保存していきたいと考えている。





2 西方の音    
      著者 五味 康祐  発行所 新潮社  発行年 1969年(昭和44年)
                  定価700円

  一般に五味 康祐は大衆小説の特に剣豪物の著者として有名である。
  また、ご承知のとおり彼は昭和28年に芥川賞をうけた立派な文筆家ではある。
  しかし、彼はその他に意外な面を持っていたのである。
  それは音楽鑑賞家として、オーディオ愛好家としてである。
  その資質は非常に高く、至高のレベルであった。単なるオーディオマニアではない。
  現在でも彼の表現力以上の力を持つ人は見あたらない。
  そのような彼が自分の音楽に対する生き様と思いを一気に描きまくったのが本書である。
  当時この本の影響は大きく、単なる機器だけを集めているオーディオマニアを無意味な存在に
 したのであった。
  この本の表現により日本では英国スピーカーメーカーのTannoy の当時一式100万円以上し
 たオートグラフィが売れまくったのである。本国英国でも驚いたのであった。
  これくらい一文筆家の筆力というものは大きな力を持っているのである。



 さて、本書は単なるオーディオ機器の評論や音楽論ではない。そのつもりで読んだら失望するだろう。
 舞台は昭和27年頃からの貧しい日本である。当時人々は食うことだけで精一杯で音楽には心が及ば
なかった時代である。
 当時の五味氏も例外ではなく赤貧洗うがごとしの生活であったようである。
 文筆家などというものは売れれば良いが売れない時は本当に惨めなものであるが五味氏はまさにそのような状況であった。
 しかし、彼は生き甲斐を音楽鑑賞に求め、ひたむきにベートーベンに没頭した。
 それは単なる鑑賞ではなく自己没入といっても良いくらいである。
 そのためには家族・他人を省みずという態度であったようで、そのことは誉められることではない。
 
 ただ彼の音楽評を読むと本当に音楽を愛していることが分かる。単なる音楽評論家の評論などは
無味乾燥で感情というものが感じられないが、五味の評論は違う。
 とにかく読んで見なければ分からない。

 実はインターネットオークションを見ていたら、この本を探している人が結構多いことがわかった。
 しかも、入手するために希望している金額を見てまたびっくりである。
 逆にいえばようやく五味康祐の音楽論が認められてきたのかなと感じています。




 

 3 零の発見  
 吉田 洋一著  発行所 岩波書店 昭和25年発行(初版は昭和14年)
 定価 90円(昭和25年当時)


 さて次の紹介はちょっと堅い本についてです。
 この本の発行された昭和14年代当時の通俗的読み物として書かれ、相当に売れました。
 これも伝説的な位置づけになっている書籍であります。少しでも数学に関心を持っていた人だけ
ではなく、ごく一般の人が読んだ本であります。
 いかに昔の方が勉強熱心であったたかが分かると思います。
 私がこの本を読んだのは中学生の2年か3年頃に先生から薦められて読んだことを記憶しています。
 今改めて読んでみると中学生でも分かるように大変大きなテーマを丁寧に説明しているのに改めて
感心しました。
 しかし、今の中学生にこの本を読めといっても読む人は少ないと思います。総じて若者の理数離れの
時代に無理な要求となるのでしょう。
 ただあの時代は本を読むこと位しか楽しみが無かったわけで時代が違うと言われればそれまでですが。
 さて、本の外観を紹介します。
 

 
 私たちが普通に使っている数字、そしてその数字の中でも”0”という数字が一般化されたのは
意外に新しいということに驚くこととなる。
 インド記数法が出てきたのが773年頃のバグダッドであり、ここでようやく”0”の記法が現れたの
である。それまでのアラビア数字には1〜9間での文字はあっても”0”はなかったのです。
 それは、”0”発見以前は数値の扱いは算盤を使って玉の数を位置的に移動させて表していたからです。
 この方法では”0”ということは玉を移動させなければ良いわけで、それで済んでしまったので”0”という
数の概念が生まれなかったわけです。
 さて、この”0”の概念が出てから数学というものが大きく発展をとげるわけで、この経過を歴史的出来事
を混えながら分かりやすく説明したのが本書であります。
 私は何十年か振りに読み返してみて改めて”数”というものの歴史的意義に感動をしました。
 今の人にとっては、生まれたときからカラーテレビや冷蔵庫があるわけで、何で”0”なんていう数の起源を
知らなければならないんだとの声が出てくることは明らかですが、何とか若い人に読んでいただき、何気なく
存在している物の成り立ちを知らせることは大切なことであると思っています。
 本書は当時の出版状況を反映、用紙はザラ紙の粗末な装丁ですが、私の本棚の中では光り輝いています。
 再版もされていますが、私のこの昭和25年版はその粗末さの故に価値ある存在と考えています。



  
4.音声増幅器設計並びに調整 
     著者 NHK技術研究所試作課長 島山 鶴雄
     発行 昭和28年6月1日    
     定価 1000円
     発行所 無線従事者教育協会
 さて、次も少し堅い本ですが本当の稀覯書です。
 ある分野の人はよだれを垂らすはずのものですが、関心の無い人や分野外の人には棄書になってしまうのでしょう。
 まあ本というモノはそのような性質なのでしょう。
 とりあえず外観を示します。
 

 発行は昭和28年6月1日の初版です。
 更に著者の印があります。

 当時の普通サラリーマンの月給は8000円前後だったと思いますから本書は相当
に高価な本であったわけです。
 しかも内容は現在でも通用する、いやそれ以上でしょう。真空管による音声増幅に
 関する技術は本書に全て織り込まれております。
 現在は新たな真空管アンプがブームとなっていますが、それらの人の使う技術は
 本書に全て記述されています。
 改めて読んでみてすごいなーと感動しました。
 特に負帰還について述べられているのは驚きです。ちょうどウィリアムソンアンプの
 出現でフィードバックについての関心が高かったのですがそれにしてもこれだけの
 内容を網羅していたとは改めて驚きです。
 本書はメモによる私が米沢市の古書店から昭和36年に購入しています。
 私の記憶では相当に高い本だが購入して強く喜んだことを覚えています。


 負帰還についての章です。現在工高や大学工学部で教えている内容はこれとほ
 とんど同じです。
 単に真空管がトランジスタに代わっただけで基本は同じです。


 次は回路図です。現在使っているモノとほとんど替わりがりません。


 それにしても当時のNHKはすごかった。なにしろ技術者達がすごかった。
 著者の島山氏はもちろんNHK技術研究所長の島山 茂雄氏(新幹線の生み
 の親 島 秀雄の弟)。
 当時の放送技術界の神様的存在であった。
 スピーカーの神様中島平太郎氏(後のソニー常務、アイワ社長等を歴任)等の
 蒼々たるメンバーを輩出していたのですから。
 彼らが次々と記述してくれた専門書をむさぼり読んだことが懐かしいです。
 それと比べると現在はやはり官僚主体の商社的組織といわれても仕方ないのか
 なという気がします。

 さて、本題に戻りますが、改めて述べますが本書は単なる稀書ではありません。
 現代でも通じる専門書です。特に真空管アンプマニアの方にとってはバイブルです。
 あの戦後の混沌とした時代によくぞこんな本を書いたモノだと深い尊敬の念を覚
 えます。
 それにしてもこのような本をむさぼり読んでいた私たちも偉かったんだなと改めて
 思う。
 やはり日本は技術者が大手を振って歩ける社会にしていかなければ明日は無いと
 考えます。






                             
別の意味での本当の稀書
                        
著者 D.O.ウッドベリー
                              関正雄、湯沢博、成相恭二訳
                             出版社 岩波文庫
                             定価 760円(上)、700円(下)




 稀書の定義となると性質で分けた時はには沢山の分け方があると思います。
 これから紹介するこの「パロマーの巨人望遠鏡」は性質からいうと特別な意味を持つ稀書であると
言えます。
 本書の初版が発行されたのは1939年のことです。1941年に太平洋戦争が始まったのですから
ずいぶん昔のこととなるわけです。
 私が最初にこの本に出会ったのは中学生の時でした。当時天体観測に興味を持ち、手当たり次第に
天文に関する本を読んでいました。本など買えるわけもなく、図書館からの貸し出しを利用していました。
借りたのは山形県立図書館でありました。
当時の県立図書館は米軍に接収されていた状況からようやく日本に戻された建物でありちょっと異国的
雰囲気を醸し出していたことを覚えています。
 蔵書の内容は当時の日本は産業立国を目指していたため比較的物理関係の本が多かったのです。
 中学生ながらも物作りが好きな私はよく通ったものでした。
 その多くの本の中に本書があったのです。
 アメリカのパロマー山に直径200インチ(約5メートル)の大望遠鏡をヘール氏が作り出すまでの一部
始終を紹介したものでした。大変印象が強く感動したことを覚えていました。
 時は移り当時から50年近くの時が過ぎた平成14年のある日、ある書評を見ていたら突然この「パロマー
の大望遠鏡」という文字が飛び込んできました。
 思わずエーッという気持ちになりむさぼり読むと何と自分が50年ちかく前に読んだ本の紹介ではあり
ませんか。本当にびっくりし、又感激しました。
 さっそく購入しましたがさすが形体は異なっており本書は文庫本になっていました。
 原書は確かB5版の表装の立派な本だったと記憶しています。
 それでも復刻されただけでも私には幸運でした。
 しかし考えてみるとこの再びの出会いは本当に偶然の賜物であり、もし書評に出会っていなかったなら
おそらく私は知らないままであり再開は無かったと信じています。
 それにしても本書のようなごく一部の専門の人しか関心を持っていない内容の本を書評として紹介す
る人というものはすごいと感じます。
 普通は文学的分野のみが書評の対象になっているのが一般的なのですから、本書を書評した人も
偉いし、それを掲載した編集者も偉いと思います。
 書評は広い分野の本を対象にしていかなければなりません。
 これまでのように文学分野のみという狭い領域内容を書評して紹介していたツケが現在の読書離れ
に連なっていると思います。
 そのためには書評する人の資質が強く問われていくのですが難しい問題でありましょう。
 
 以上の観点から本書は復刻版でありながら復刻された意義を考えると出版社側の大きな業績になる
ものでありましょう。 
 その意味からも本書は稀書中の稀書であると考えます。

 6.黒死館殺人事件  
                   著者 小栗 虫太郎 
              昭和44年12月20日発行(この版の初版)
              定価 680円(当時価格)

当時の探偵小説は金文字背表紙の豪華なものでした。


 
著者小栗虫太郎昭和10年代に活躍した犯罪心理小説と魔境小説を主ジャンルにした特異な
作家であります。
  その文体は怪奇と科学性に満ちており、時代はヨーロッパの中世まで遡り、分野は宗教、怪奇心理学、
医学、建築、薬物、犯罪史等の幅広い分野をカバーしており現代の作家の枠では理解出来ない
スケールの大きい作家であります。
 作品には「紅殻駱駝」、「青い鷺」、「白蟻」等がありますが万民が認めるのは本書が代表の書であります。
 本書は多くの作家に影響を及ぼしました。江戸川乱歩は当然として、菊池寛、大佛次郎、野村胡堂、
木々高太郎等にも関心をもたらさせました。
 ただ文体はペダンチック(学者然とする様)に満ちすぎており、嫌いな人は結構多いのです。
 本書を現代の人が読む時には相当に精神を集中させていかないと続かないでしょう。
 ただストーリーの奇想天外性に引きずられて最後まで読んでしまうのが常でありましょう。
 黒死館殺人事件はヨーロッパ中世のメディチ家を舞台にして始まっていきます。
 メディチ家と聞けば誰しも毒殺の家系で有名なのですから、全体のイメージが想像できるのでは
ないですか。
 このような背景を下地にして、ルネッサンス様式の妖気漂う城館、門外不出のおかかえ弦楽四重奏団の存在、
遺伝学、不気味な自動人形、ヘブライ文字、十二宮符号等を全体に散りばめて豪華絢爛な
探偵小説に仕立て上げています。
しかし、現代の探偵小説や推理小説とは異なり、単なる犯人探し小説ではありません。
 著者はおそらく探偵小説を舞台にして、自分の幅広い知識をひけらかす(そう言って良いほど全体に
脚注が多く、そこで著者の豊富な知識を解説している。)ことを狙ったのではないかと考えられます。
 もし縁あって読む機会があったときは、この脚注を読むことも楽しみにして読むと良いでしょう。
 とにかくその内容は幻想と怪奇が渾然一体となった通常の人間の頭では浮かんでこないイメージが
主となっており、あっと驚くストーリーの展開が楽しめます。
 さて、本書はその黒死館殺人事件の桃源社版の初版です。
 大変立派な装丁が為されており、当時は本が貴重だったということを示しています。
 今でも推理小説やロマン小説の解説によくこの黒死館殺人事件が引用されていますが、現在は
肝心の黒死館殺人事件の本が存在していないために、本書などは稀書になるのではないでしょうか。
   
              
7.マイコンサーキュラ   マイコン黎明期の貴重本
           
 現在のマイコン雑誌のはしり   昭和53年4月10日発行
      発行所 日本マイコンクラブ    定価 400円 

 現在は書店に行けば目が混乱するほどマイコン関係の雑誌が並んでいます。
 しかし、昭和の50年代にはマイコン関係の本などはありませんでした。せいぜいCQ出版の
 トランジスタ技術誌がマイコンの記事を載せるくらいでした。
 世の中でマイコンの地位は低く、むしろ存在しませんでした。
 私は昭和48年頃よりマイコンに興味を持ち取り組んでいましたが、世間の目は冷たく、
 何か変わったことをしているなとの評価しか貰えませんでした。
 でも、私はマイコンをTTLICで構成して動かすことが好きだったので、周囲がどう見ようと
私自身は好きな道を突っ走る気持ちで前進していました。
 昭和50年になってからはインテルの8080が一般化しモトローラの6800と覇を競いだしました。
 そのようになるとようやくマイコン雑誌らしきものも出て来ました。
でもこの段階はまだまだ同人誌の域を抜けだ゛ずアマチュアの臭いがプンプン香る状況でした。
 なにしろ今を時めくアスキー誌でさえも発行されたのは昭和52年10月でしたがページも少なく
印刷も質素な雑誌でした。
 さて、当時最も先進的に進んでいた団体がこの「日本マイコンクラブ」でした。
 自分たちで会誌を制作し、会員外にも販売していました。
 もっとも販売域は一般の書店は少なく、ほとんどは秋葉原のマイコンショップ内がほとんど
でした。
 でもこれらのマイコン関係の情報誌が次々と世に出ることとなったお陰でマイコン雑誌が多数
発刊されるようになったのです。
 お陰様で私も大分書かせていただきました。
 今回はその「マイコンサーキュラ」の第3巻4月号を詳解していきます。
 次が表紙です。簡素なものでした。

次が裏表紙です。懐かしい東芝のTLCS−80Aが載った広告です。
この時はこのようなボードコンピュータがせいぜいだったのです。


図も手書きでした。回路図は筆者が自ら描くのが通例でした。
ですから説明と図が一体になり親切な解説になったものでした。



プログラムも同様に手書きでした。プリンタなどはとても高価な存在で
一般人は使えませんでした。
プログラムは全てマシン語です。
私も常に3000語位は手で入力していました。
 今でも当時のマシン語を覚えていますよ。




 どうでしょうか。以上が昔のマイコン黎明期の雑誌の状況です。
 これらの貧しい段階から昔の若者たち(私も入ります)はむさぼるようにこのような雑誌を
元に勉強して力を付けていきました。
 何しろ雑誌が最先端の情報誌であり勉強の本だったのです。
 専門図書は発刊されていなくて(なにしろ毎日情勢が変わる激動の時期です。雑誌でなければ
対応出来ない現状だったのです。丁度終戦後の進駐軍との関係のようでした)

 今の日本は豊かになりすぎました。情報もあらゆる方面から提供されています。
 でも情報は豊富になるほど貴重でなくなります。だれも私たちが歩んだ形での勉強などしないでしょう。
 だってちょっと動けば株で大もうけ出来るんですから。
 でもそのような社会は必ず衰退の道を辿ります。
 私は日本は地道に物づくりの道をコツコツと歩むのが一番と考えているのですが。

  
 
8.めざすは新世代コンピュータ(日本の夢に挑む頭脳集団)
  
                                         昭和63年4月10日発刊  初版
                                            発行所 角川書店  角川文庫


 
日本の発展には戦後間もない頃からの家電を中心とした電化製品の生産が大きな役割を
果たしました。

 何と言っても最も大きな力となったのはコンピュータ技術の成果でしょう。
 それまではIBMの牙城がそびえ立ち、どうにもならない状態でした。
 しかし、前項で紹介したように日本のコンピュータ技術は世界のトップに立ちました。
 このようにコンピュータ技術が発展できたのは通産省(今は名称が違う)のリード力が大きな力と
なりました。今はそのような力は無くなっています。
 それはこの本を読めば分かりますが当時の若手通産官僚は技術の将来を情熱を持って語り合い、
関係機関を説得し、業界を叱咤激励して常に世界をリードしようと図っていたのでした。
 このような状況は私たちにも漏れ伝わってきて何となく私たちも頑張らねばという気持ちになったも
のでした。
 今は、そのような気持ちは誰も持ってはいません。その結果が今の日本です。
 世界に誇れる技術も少なく、物づくりの機運は確実に下がっています。
 このままで良いはずはありません。何とかしなければなりません。

 実はこの本は発刊当時私は読もうとしていて、しばらくしていったら書店から無くなっていて、そのまま
何となく時がたち、忘れていた本でした。
 平成18年になった1月にフラリとBooKOffに入ったら書棚にあるではありませんか。
 さっそく買いました。105円でした。何とも言えない再会でした。
 改めて読んでみるとむしろ現在の方にマッチした内容です。
 ゼロからの出発の時の苦労は昔も今も同じなのですね。
 この本のタイトルにある新世代コンピュータとは自分で自ら考えて行動する自立型のコンピュータを
言います。
 現在我々が使っているコンピュータは逐次実行方式のフォン・ノイマンが作り出した方式で処理されて
います。
 全ての処理は極端に言うと一筆書きの流れで処理されています。
 全て人間が前もって書いておいた処理の手続きに沿ってCPUが順次実行をしているに過ぎません。
 決してコンピュータが自ら思考して処理手順を決定しているのではありません。
 このようなここまでのコンピュータは第四世代のコンピュータです。
 それを自ら思考して行動する新しいコンピュータ(非ノイマン方式のコンピュータ)を作ろうという気宇壮大な
計画が昭和54年頃に産声を上げたのですがその流れを書いたのが本書なのです。
 私たちはこの事業がどう進展していくかに大きな興味を持っていました。
 結局現在でも実用的な新世代コンピュータは出来ていませんが、その思考は続いているし、現在のノイマン
方式では行き詰まりが来ているのは事実です。
 10年前はロボットの二足歩行などということは夢のまた夢でしたが、今は歩くどころか走っています。
 今出来ないことは明日出来るようになるものです。
 必ず第五世代のコンピュータは出来上がります。

 本書を読めば人が情熱を持つことの大切さが思い知らされます。
 もう一回再発行しても現在に十分通用し、むしろ現在の方が本書の価値があると感じています。
 私は改めて本書を読んで思いを新たにした所です。


  
9. 不連続殺人事件 坂口 安吾 角川文庫
                    514円
                        

                                   
 この本は新しい本です。しからばなぜ稀書かというと本書は平成18年に再発行されたからこそ
稀書なのです。
 坂口安吾がこの小説を書いたのは昭和23年です。戦後何もないあの時代でした。
 安吾はそもそも純文学の寵児とうたわれた人間で作品には、白痴、堕落論、二流の人、
肝臓先生、 安吾捕物帖等があります。独特の語り口でありリズムがある文体です。
 この安吾が戦争中に無為の憂さ晴らしに仲間と共にのめり込んだのが探偵小説でした。
 仲間と共に犯人捜しに熱中して時間をつふしたそうです。
 そのうちについつい書いてしまったのが本書であります。
 そして本書は昭和23年に横溝正史や高木彬光等のそうそうたる作家を押しのけて
第二回探偵作家クラブ賞を受賞してしまったのです。
 当時日本中で話題になったそうです。
 私は相当昔に(少なくとも40年以上前)読んだのでしたがその時は人の本を借りて読んだと
覚えています。
 爾来全然忘れていたのにある日、本屋に行ったら本書が新本となり展示されているのを見て
即座に買いました。
 気持ちも何十年前に戻りむさぼるように読みました。
 当時の記憶では何となく読みにくく表現が五月蠅いと感じたことを覚えているのですが、
改めて本書を読んで見てビックリしました。
 少しも古さを感じさせず、今の時代にぴったりです。むしろ現在の推理小説よりもはるかに
上であると思いました。
 逆に言えば推理小説は昭和20年代の大横溝や江戸川乱歩の時代から進歩がないのでは
ないかと思います。
 昔は五月蠅く感じた語り口が現在の老境で読んでみるととても洒脱に感じられ、その洒脱な
語りの中に事件の鍵が隠されているのですが改めてその辺りがとても楽しく感じられました。
 近年読んでいる推理小説はどれも面白くなく本書を越えられないなあと思いました。
 最近の芥川賞や直木賞も面白くないし、又古いものをあさってみたほうが良いのかなと感じて
います。
 しかし、本書が確かにマニアの間ではバイブルのようになっていましたがまさか再出版されると
は思ってもいませんでした。
 やはり現代にマッチしたものと判断されたのでしょうね。出版した方も偉い。
 皆さんも是非読んでいただければ分かりますが掛け値無しに面白いですよ。
 


 
10.猫は知っていた   昭和32年12月30日発行
 
この本は私が高校生の時に買ったものだ。当時は探偵小説に夢中になっていた頃
 だった。私の本は初版の第三刷りで発行は昭和32年12月30日になっている。
 初版が同年の11月30日なので相当売れ行きが急増したのであわてて出版社が発刊
 したことが分かる。
 先日、本の処分を図り古書店に多くの本と共に持ち込んだのだが、その時の鑑定者が
 この本を見て驚きを込めたつぶやきをしたので急に欲が出て持ち帰ることにした。
 著者の仁木悦子氏は幼児にカリエスを患い、寝たきりの状態で執筆活動をしていた。
 それが昭和29年に江戸川乱歩の還暦を記念して設定された江戸川乱歩賞の第三回の
 受賞作品となったもので全国紙で大きく報道されたことを覚えている。
 こんなこともあり高校生でありながら当時の大枚280円をはたいて買ったのだった。
 高校生時代を思い起こさせてくれる貴重な本だと再認識した。
 ちなみに家に帰ってから現在のこの本の古書価格を調べてみたら5500円となっていた。
 ああ、売らないで良かった、と思った。

            


  
闘病姿の仁木悦子氏の姿。この姿に感動したのだったなぁ。



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